学校法人 聖フランシスコ学園 天使幼稚園
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<2017年度>卒園文集
未 来 を 築 く
2018年3月19日

 園長先生が子どもの頃、手塚治虫さんが描いた「鉄腕アトム」という子どもたちに人気があるマンガがありました。実際の町の中の道はまだ舗装されていない所も多いし、自動車を持っている家は珍しくて、スマートフォンはもちろん家庭で使えるコンピューターなど全く考えられない時代でした。でも、少し未来のお話であるこの鉄腕アトムの中では、ロボットが人間のように動いてお話をしたり、さらには喜んだり悲しんだりしていたのです。また町の中には高いビルが立ち並び自動車が空を飛んでいました。当時の子どもたちはこんな時代が来たらいいなと思ったり、これはマンガの中だから出来ることで、本当はこんなことできないよと思ったりしながらこのマンガを読んでいました。

 それから五十年近くが過ぎた今、空を飛ぶ自動車はまだないけれど、ビルの間をぬうように作られた高速道路の上を自動車が走り、コンピューターが生活の中に入ってきたり、歩いたりお話したりするロボットが出来たりと、鉄腕アトムで描かれた世界が現実のものとなってきました。

 こうして実現した、手塚治虫さんが思い描いた未来の姿。それはある日突然、誰かが作り出したものではありません。高速道路を計画し建設してきた人たち、コンピューターを開発した人たち、ロボットの研究をして多くのことが出来るように作り上げてきた人たち………。多くの人たちが、それぞれの専門分野での研究を重ね、新しい技術や製品を生み出してきた結果、今のような世の中が築き上げられてきたのです。

 数年前に「下町ロケット」というテレビ番組が放送されました。小さな町工場で働く人々が様々な困難を乗り越えて、ロケットの部品を作り上げ、ロケットの打ち上げを成功に導いたというお話です。(この番組は大田区矢口の工場で撮影されたそうです)今のような科学の発達と技術の進歩は、このような多くの人々の努力を集めて実現してきました。というよりも、このような小さな力が結集しないと、世の中の進歩はありえないのです。

  「ひとりの小さな手 何もできないけど、  
それでもみんなの手と手を合わせれば 何かできる 何かできる」
      (作詞:アレクシス・コムフォット 訳:本田路津子)

 これから小学校に入りたくさんの勉強や活動に取り組むみなさん。勉強をしていくうちに、自分が得意なもの、好きなことが少しずつ増えていきます。そして、そこで学んだり身に付けたりしたことが、自分ならではの力となっていくのです。それはみんな同じものではありません。一人ひとり異なった力を発揮していくからこそ、それが集まったとき、大きな力となるのです。そして、その力が合わさったとき、新しい未来を築き上げていけるのです。

 人と比べるのではなく、自分らしさを発揮できる、そんなおとなになることが出来るよう、これからの小学校生活でたくさんのことを学んでくださいね。 

 みなさん、ご卒園おめでとうございます。
                         (園長 鬼木 昌之)
<2017年度>年度末のおたより 
2018年3月16日
あ し あ と
 寒かった今年の冬もようやく過ぎ去り、ここ数日暖かい日が続いています。それぞれ年少・年中・年長さんとして過ごしてきたこの1年間も終わり、修了式、卒園式の日を迎えました。

   ♪ いつの間にか 僕たちは 一人で歩いていたよ 
      6年前に この世に生まれた 小さなこの命
       晴れた日にも 雪の日にも 元気なときも 病気のときも
        変わらない優しい眼差しが 僕たちを包んでくれた
     気がつけば 春の風が あんなに歌っているよ
      ありがとう 心をこめて ありがとう そしてさよなら
                         (作詞:作曲 山崎浩)

 この1年間の子どもたちの成長を振り返ってみると「いつの間にか」出来るようになっていたことが数多くあることに驚かされます。以前はよく甘えが出ていたけれどいろいろなことが自分でしっかりと出来るようになった子、以前よりお話が上手に出来るようになり自分の思いをしっかりと伝えられるようになった子、お友だちの気持ちを良く考えて親切にしてあげることが出来るようになってきた子、今までとは違うお仕事にも興味を持ち熱中して取り組んでいる子………。この原稿を書いている今、クラスから響いてきている歌も、高い音までだんだんと出せるようになり、お兄さんお姉さんらしい歌声になってきています。ご家庭でもふと気付くと、こんなこと、あんなことが出来るようになっていたなあと感じられることも多いのではないでしょうか。

 こうして残してきた成長のあしあと。いつの間にか出来るようになっていたけれど、そこには子どもたちを温かく見守ってくださった大勢の方の援けがありました。大きな力に支えられ、安心して過ごす中、子どもたちの持っている力が少しずつ育まれてきました。この歌には、こうして自分を育ててくださった方々への感謝の思いが込められています。

 マーガレット・F・パワーズさんが作られた「あしあと」という詩があります。全文は長いので要約すると、
「なぎさの砂の上に、わたしと主、ふたりのあしあとが残っていた。ところが、自分の人生でいちばんつらく、悲しかったとき、ひとりのあしあとだけしか残っていなかった。『主よ、あなたは、すべての道において私とともに歩むと約束されました。それなのに一番あなたを必要としたときに、あなたがなぜ私を捨てられたのか、私にはわかりません』と尋ねると、主はこうささやかれた『私の大切な子よ。私はあなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みのときに。あしあとがひとつだったとき、私はあなたを背負って歩いていた。』」という内容の詩です。

 人は皆、ひとりだけで成長することは出来ず、そこには必ず誰かの援けがあるものです。そして、自分を支え育ててくれた大きな力に気付き、感謝の思いを持つことが出来ると、次に大きな壁に当たったときにも、自分を守り援けてくれる力があることを信じ、一歩一歩あゆんでいくことが出来るものです。子どももおとなも、自分を支えてくれる方や大きな力に気付き、感謝する。年度の終わりにそのような時間を持つことが出来ると素敵ですね。

 最後になりましたが「初心」「笑顔」「チャレンジ」を掲げてあゆんできたこの1年間。多くの新しい試みにご協力とご支援を賜り本当にありがとうございました。天使幼稚園がますますみなさんの期待に応えられる園になるよう、来年度も新しいチャレンジを続けて参りたいと思っています。これからもどうぞ、よろしくお願いいたします。
                        (園長 鬼木 昌之)
<2017年度>3月のおたより 
2018年2月21日
ステキな ぼく・わたし
 先日のガブリエル会(天使幼稚園卒園生の会)で、幼稚園時代に歌っていたなつかしい聖歌をいくつか一緒に歌いました。「ひかりの子」を歌った後、「この歌にはどんな意味があるか考えたことがある?」と聞くと、ほとんどの子が「ない。」と答えたので、歌詞の意味をみんなで味わってみました。
        ひかりの子
1.よろこばれる ひとになろう イエスさまのようなひとに
  あいをはこぶ ひとになろう イエスさまのようなひとに
(繰り返し)ひかりのこは いつもあかるく  ひかりのこは いつもステキ
      ひかりのこは いつもいのり   ひかりのこは イエスさまのこ
2.がまんづよい ひとになろう イエスさまのようなひとに
  こころやさしい ひとになろう イエスさまのようなひとに (作詞:不詳)

 「どんな人になろうと書いてあるかな?」と尋ねると「喜ばれる人」「愛を運ぶ人」「イエスさまのような人」という答えが返ってきました。そこで「ひかりの子は、いつもステキって歌っているけれど、みんなステキな人ですか?」と聞くと「えーっ、そんなこと言えないよ。」という返事が一斉に返ってきました。天使幼稚園で育った子どもたちの奥ゆかしさが現れた反応で、しっかりと幼稚園で培った精神が生きているなと感じたところでした。

 その一方、人の前で謙虚であることを大切にしつつ、自分を「ステキ」と思えることは、その人が掛け替えのない一人の人として生きていくために、とても大切な力です。

  「自分と仲良く生きる」といい。
    好きな自分と四六時中一緒にいる人は、自然と笑顔が多くなり、
     言葉から刺がなくなり、相手の言葉をふんわりと
      受け止めることができるようになるから不思議です。
                               (Sr.渡辺和子)

 その思いは、単に自分を大切にすることに留まらず、ステキな自分の力を、周りの人のために役立てていこうとする力へとつながっていくと、Sr.渡辺和子さんも教えてくださっています。

 昨年夏に出版された「自分におどろく」(たなかかずお/文:あべ弘士/絵:童話屋)という絵本があります。「きみの命は、40億年前に生まれた たった一つの細胞から始まった。いのちは進化して 木や草やライオンや象になった。ムカデやタコにならず、きみは まっすぐ人間の道をたどって いま そこにいる。それは すごいことだ。まさに奇跡なのだ。」(本の帯より)ビックバンから宇宙が始まり、地球そして生命が誕生。さらに、初めに生まれたひとつの細胞から、様々な進化のあゆみを経て自分が生まれた。もし、その過程のどこかが途切れていたら、今の自分は存在しないんだ。だから自分がここにいることは奇跡的なことなんだと、この絵本は教えてくれています。

  自分は自分である。何億の人間がいても自分は自分である。
    そこに自分の自信があり、誇りがある。(松下幸之助 )
  人間というものは、面白いものであり、不思議なものであり、
    必要のない人間というのはいないのである(本田宗一郎)

 たった一人しかいない掛け替えのない自分。幼稚園時代の子どもたち一人ひとりが、自分がここにいることは素晴らしいことなんだという自己肯定感を持ち「ぼくは、わたしはステキなんだ!」という自信を持って成長してほしいと日々願っています。
                        (園長 鬼木 昌之)
<2017年度>2月のおたより 
2018年1月26日
不 思 議
 「ふしぎの国のアリス(ルイス・キャロル)」「ふしぎの図鑑(小学館)」「ふしぎがいっぱい○年生(NHKテレビ)」「世界ふしぎ発見(TBSテレビ)」「世界の七不思議」………。子どもたちの周り、そして世の中には「ふしぎ」ということばがたくさんあふれています。

 ことばだけではなく「どうして、雨がふってくるの?」「なぜ、お星さまは落ちてこないの?」車の中から夜空の月を眺め「どうしてお月さまは、ずっとついてくるの?」「ありは高いところから落ちても、なぜけがをしないの?」「なぜ花にはいろいろな色があるの?」「ママはどうして、赤ちゃんの言っていることがわかるの?」「園長先生の手、どうしてしわしわなの?」………。子どもたちの周りには不思議なことがいっぱいです。

 「不思議」の意味を広辞苑で調べると「=不可思議の略=よく考えても原因・理由がわからない、また解釈がつかないこと。いぶかしいこと。あやしいこと。奇怪。」と記されています。さらに調べてみると、もともとは人の知恵では計り知ることができない大きな力(神さま)の働きに由来することばというものにたどり着きます。しかし、人の知恵では解明できない不思議な出来事とされていた謎を、人類は長いあゆみの中、数多く解き明かしてきました。冒頭の「ふしぎの図鑑」や「ふしぎがいっぱい」そして「世界ふしぎ発見」などは、その不思議な現象や出来事の答えを見つけ出し、知的好奇心を満足させてくれるものになっています。

 これから育ち行く子どもたちには、この「不思議なことを解明する力」をつけていくことが求められています。

 先日の津山先生の講演会の中で、
「お子さまの長所はどんなところですか?」
と聞かれたとき、一人のお母さまが
「みずみずしい感性を持っていることです。」
と答えられていました。不思議を解明する第一歩、そのひとつがこの「みずみずしい感性」です。「不思議だな?」と感じるためには、日常のさりげない出来事をぼんやりと見過ごすのではなく、「おや?」「なぜ?」「どうして?」と心が揺り動かされ、自分なりの思いや考えを持ったり感動したり共感したりすることが大切です。そこにこの「感性」や「好奇心」そして「観察力」などが求められます。

 さらにここで芽生えた「なぜ?」「どうして?」という疑問に対し、調べてみようという「意欲」や、答えを見つけ出すための「思考力」や「想像力」などが必要になってきます。そして、自分の力で調べることを通して、答えが見つかった時の「そうなんだ!」という満足感が、また新しい疑問への挑戦の土台となっていくのです。

 人は知識が増え教養が身に付くにつれ、だんだん「不思議だなあ?」と感じることが減っていきます。でも、不思議と感じその謎を解き明かすことを繰り返すことを通して、人はいつまでも若々しくあることが出来るのではないでしょうか。

「教訓はどこにでも転がっているさ。あなたが見つけようとさえすれば。」(ルイス・キャロル)

教訓に留まらず、子どももおとなも、「不思議」と感じるみずみずしい感性を大切にしつつ、それを解決するあゆみを通して成長していくことが出来るといいですね。

                         (園長 鬼木 昌之)
<2017年度>1月のおたより 
2018年1月10日

 新しい年2018年がスタートしました。初日の出、初詣、書初め、初売りなど「初」が付く行事や習慣がたくさんあるお正月。その一つに「初夢」があります。1年の初めに見る夢。良い初夢を見ることができるようにと、昔の人は、七福神が乗った宝船の絵に
「ながきよの とおの ねむりの みなめざめ なみのり ふねの おとの よきかな」
という回文(前から読んでも後ろから読んでも同じになる文)を書いて枕の下に敷いたりしていました。

 寝ている間に、現実の自分の生活とは異なる体験が出来る夢。昔の人はその不思議な体験から、夢には何か特別な意味があるのではないかと考えるようになりました。良い夢を見ると、きっとそれが現実のものになるという「正夢」、反対に夢で見たことは現実では逆の結果になるという「逆夢」、夢で未来の様子を見る「予知夢」………。そして「夢占い」で未来を予言する人も出てきました。

 夢にまつわる話は聖書にも出てきます。
「占星術の学者たちが帰っていくと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。『起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。』」(マタイによる福音書2章13)

 創世記にもファラオが見た「よく肥えて、つややかな七頭の雌牛が川から上がって来て、葦辺で草を食べ始めた。すると今度は貧弱で、とても醜い、やせた七頭の雌牛が上がって来た。」という夢に対し、ヨセフが「それは7年間の豊作と、7年間の飢饉が訪れることを示しています。」と謎解きをし、飢饉に備え人々を救ったという物語が載っています。(創世記41章参照)

 このように、昔から夢には神さまからのメッセージや、未来を示すことが隠されているというお話が、数多く残っています。(旧約聖書に出てくるヨセフはイエスさまのお父さんではなく、アブラハム、イサクにつながるヤコブの子のヨセフのことです。)

   僕は、夜に夢を見るんじゃない。一日中夢を見ているんだ。
     生きる糧として、夢を見ている。(スティーヴン・スピルバーグ)

 寝ている間に見る夢だけではなく、自分の将来に向けて思い描く夢もあります。

   夢を見ることができれば、それは実現できるのです。
     いつだって忘れないでいてほしい。
       何もかもすべては、
         一匹のネズミから始まったということを。
                         (ウォルト・ディズニー)

 多くの先人たちが、未来に向けて夢を持つことの大切さを教えてくれています。それは多くの可能性を秘めた子どもたちだけでなく、人生の半ばを過ぎたおとなにとっても「生きる糧」として必要なものであり、一人ひとりがそれに向かって歩むことで、豊かな未来を築くことができるというものです。「風立ちぬ」の完成後、一度筆を置いた宮崎駿監督が、再び気力を振り絞り、新しい長編アニメに取り掛かっていらっしゃるそうです。自分に与えられた使命を大切にする方は、いくつになっても夢に向かって歩み続けることをやめることはできないようです。

   私たちは、今までになかったものを夢見ることができる人々を
     必要としている。(ジョン・F・ケネディ)
   「夢をもつことの素晴らしさ」それを信じている人には
     未来があるのです。(エレノア・ルーズベルト)

 これから長い長い未来を背負って立つ子どもたちには、今までにない新しい世界を切り開く発想豊かな夢を、もう夢はなくなったというおとなは、自分の人生で培った知恵や知識、技能を持っているからこその夢を思い描き、この1年間あゆんでいくことができるといいですね。

 「1年の計は元旦にあり」
豊かな1年になるように、ぜひ今一度、自分らしい夢を基に、1年の目標を立ててみてください。
                        (園長 鬼木 昌之)
 <2017>冬休みのおたより 
2017年12月21日
よ い し ら せ

 イエスさまのお母さんになることを告げられたマリアさまが、親戚のエリザベトを訪ねたとき、エリザベトの胎内の子が喜び踊りました。(ルカによる福音1章41参照)このエリザベトの子洗礼者聖ヨハネは、イエスさまに先立って「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。」と救い主の到来を待つように告げ知らせ(マルコによる福音1章3)その後、イエスさまが「悔い改めよ。天の国は近づいた。」と、人々に教え始めたのでした。(マタイによる福音4章17参照)そしてイエスさまは「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように。」(ヨハネによる福音13章34)と「神さまがみんなを愛してくださったように、みんなも互いに愛し合うことによって本当の幸せが人々の上に訪れるのです。」ということを伝え、人々のために自分の命をささげてくださいました。このように、神さまは聖書を通してもみんなの幸せへの道筋を、繰り返し知らせてくださっています。

 イエスさまの生涯とその教えをマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4人がそれぞれ記した4つの文書を「福音書」と呼んでいます。「福音」とは、ギリシア語に由来することばで「良い(euエウ)」と「知らせ(angelion アンゲリオン)」を組み合わせた「エゥアンゲリオン」がもとになり、喜ばしいことを知らせる手紙のことだったそうです。その名前が神さまからの嬉しいたよりである四福音書の呼び名になりました。

 先週、子どもたちはクリスマス会でイエス様に劇や歌をおささげしました。たくさんのセリフや動きを覚えたり、大勢の方の前で大きな声を出したりと、子どもたちにとって、貴重な体験となりました。天使幼稚園のこの催しは発表会やお遊戯会ではなく「クリスマス会」と位置づけています。それは出来栄え以上に、子どもたち一人ひとりが、自分に与えられた力を、神さまにお捧げしようという思いを持って、取り組んでほしいという願いからです。よく出来たかという結果のみを意識するのではなく、どれだけ自分の力を発揮しようとしたのかを振り返ることが、これからの時代を生きる子どもたちの「生きる力」にもつながっていきます。おじいさんやおばあさん、親戚の方々にクリスマス会の報告をする時、ぜひこのことを意識し「よくできたね。」に留まらず、「自分でがんばったことは何かな」という視点で子どもたちの思いを引き出してみられると良いですね。それを伝えてもらう方々にとっても、お子さまの成長が分かる「よいしらせ」になることでしょう。

 たくさんの行事があった2学期も終わり、明日からは冬休み。冬休みになって最初に迎える大きな行事はクリスマスです。サンタクロース、イルミネーション、クリスマスケーキに贈り物……。楽しさいっぱいのクリスマスを過ごすだけでなく、私たちを大切にしてくださっているイエスさまのご誕生を、祈りの中でお祝いしませんか。今年も24日の夜と25日の朝、修道院の聖堂でクリスマスのミサをお捧げします。大勢のみなさんのご参加をお待ちしています。

   神は、その独り(ひとり)子をお与えになったほどに、世を愛された。
    独り子を信じる者が一人も滅びないで、
     永遠の命を得るためである。  (ヨハネによる福音第3章16節) 
  
                       (園長 鬼木 昌之)
<2017>12月のおたより 
2017年11月22日
待  つ

 幼稚園の道路に面した花壇にインパチェンスというピンクの花が咲いています。この花の熟した実のさやにふれると、さやが弾け、種が跳ばされます。それがおもしろくて、さやを探し、種を跳ばしながら登園してくるお友だちがいます。玄関前の聖母子像のところから、通用門までの20mほどを5分近くかけてやってくる日もあるけれど、一緒に送ってきているお母さんはそれにじっくり付き合ってくださっています。以前勤務していた幼稚園でも、普通に歩けば5分ほどの所から、草花や雲を眺めたり落ち葉や枝を拾ったりしながら、毎日30分以上かけて登園してくるお友だちがいました。その子のお母さんも、子どものペースに合わせじっと待ってくださっていました。何でもが早く早くという今の時代、こうしてゆっくりと子どものペースに合わせてくださるお母さんって、とても素敵だなと感じます。

 気忙しい現代社会に生きる私たちにとっては「待つこと」が、なかなか出来にくくなっているのではないでしょうか。レジに並ぶときには少しでも早いレーンを探す、バスが時間通りに来ないとまだかまだかと思ってしまう、レストランで注文した料理がすぐに来ないとイライラしてしまう……。毎日がそのようなゆとりのない生活になってしまっているようです。

 落ち着いて考えると、ここで急ぎ、生み出したわずかな時間は、その後有効に活用しているわけではなく、それ以上に気持ちのゆとりを無くし、マイナスになることの方が多いようです。むしろ、そこでイライラするより、の~んびりした気持ちで、周りを見回したり話をしたりして待っている方が、心が穏やかになり自分にとってプラスになるのではないでしょうか。

 縦割りクラスの天使幼稚園の中で、年長さんはお食事の準備なども素早く出来るけれど、年少さんやのんびりしているお友だちは準備に時間がかかることがあります。それでも早くできた人はお友だちとお話をしたり、先生の伴奏で一緒に歌を歌ったりしながら楽しく過ごして待っています。

 何かに追われるのではなく、こうして今の時間を楽しむことができるゆとりがあると、待つこともそう苦にはならないようです。

 「待つ」ということにはもうひとつ、楽しいこと嬉しいことを、わくわくしながら待つというものがあります。
「サンタクロースにシルバニアをお願いするの。」
「サンタクロースはフィンランドからくるんだよ。」
と、子どもたちはクリスマスにプレゼントを運んできてくれるサンタクロースを心待ちにしています。先に楽しいことが控えていると、待っている時間そのものを楽しむこともできるようです。

 イエスさまのご誕生をお祝いするこのクリスマス。2000年前のユダヤの人々は、自分たちを救ってくださる方の誕生を、切実な思いで待っていました。そして生まれたイエスさま。神さまの御子は十字架への道を通して、神さまを愛し、また互いに愛し合うことで永遠の幸せを手に入れることが出来ることを教えてくださいました。それから2000年以上、私たちは救い主イエスさまの誕生日を祝い続けています。それにしても、なぜこれほど長い間イエスさまのご誕生を祝い続けるのでしょう?

  疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
                        (マタイによる福音11章28)

 イエスさまの誕生は2000年以上前に一度だけあったのではなく、私たちが悩んでいるとき、困っているとき、疲れているとき、何度でもわたしたちの心の中に生まれてくださるのです。キリスト教でなくても、目に見えないけれど自分を支えてくださる大きな力があることを感じ、その力に信頼し感謝する。そのことに気付くことにクリスマスの大きな意味があるのではないでしょうか。

 今年のクリスマス、「早く、早く」から、のんびり待つことが出来る「心のゆとり」を持つことの大切さを考えながら、イエスさまの誕生をお祝いできるといいですね。
                            (園長 鬼木 昌之)
<2017>11月のおたより
2017年10月25日
自分を持つということ

 今年は運動会が雨で1日順延、八景島への遠足は雨の中、おいもほり遠足は雨の止み間に実施、そして23日は台風の影響で臨時休園になるなど、雨の影響が多い10月でした。

 昔はこのような行事を実施するかどうかを、都道府県ごとの大まかな天気予報をもとに、空を見上げながら判断をしていましたが、今は科学技術や情報技術の発達に伴い、インターネットを使って地域ごとの天気をピンポイントで判断できるようになり、さらにメール配信システムを利用することで、連絡もスムーズに回すことができるようになりました。便利な世の中になったものです。

 その一方、誰でもが情報を広く発信することが容易になり、インターネット上には不正確な情報も数多く見られるようになりました。今年ノーベル文学賞を受賞されたカズオ・イシグロさんは、受賞の一報を受けたとき、最近はフェイクニュース(虚偽の情報でつくられたニュース)が多いからこれもそうなのではと思ったと話されていました。その後取材陣が集まったり、出版社から応援が駆けつけたりする中「これは本当のことなんだ、大変なことになったな」と思ったと語られています。実際にインターネットで様々な情報を検索すると、おや?と思うような情報が出てくることが数多くあります。

 間違った情報、あるいは嘘の情報で惑わされることがあることは、旧約聖書の中にも出てきます。

  「蛇は女に言った。『決して死ぬことはない。
   それを食べると、目が開け、
   神のように善悪を知るものとなることを
   神はご存知なのだ。』」(創世記3章4)

そして、蛇の誘いにのったエヴァとアダムは、神さまから食べてはいけないと言われていた木の果実を食べ、エデンの園から追い出されたという物語が記されています。人は自分にとって都合が良い情報を鵜呑みにし、正しい判断をすることが出来なくなるということは、何千年も前の旧約の時代から今に至るまで変わらないことのようです。

 この物語に出てくる「善悪を知る」というのは、神さまがお望みになる善い行いを素直に実践するのではなく、自分にとって都合が良いこと悪いことを考え、易きに流れるという人の弱さです。そしてエデンの園から追い出されたというストーリーは、神さまから離れてしまった一人ひとりが、自分の判断で善い行いをするか悪い行いに流れるかを決めていくという、人間の使命を示されたものなのです。

 「情報操作」ということばが最近よく聞かれるようになりました。その情報を受け取った人の判断に影響を及ぼすように意図的に情報を流す行為です。「今流行していることは」「今年の傾向は□□です」「○○ブーム」「みんながしていることです」などの宣伝がテレビやインターネット上にあふれ、見る人をその気にさせるよう仕向けられています。その傾向が商品のCMなどに留まるのであればまだ良いのですが、個人の思想信条に踏み込み、それだけが正しいと導こうとする情報操作も考えられるのです。

 ICT(Information and Communication Technology:情報通信技術)の発達によって、多くの情報が簡単に手に入るこれからの時代を生きていく子どもたち。その情報に惑わされることなく生きていくことができるようにするために、一人ひとりが、人としてしっかりとした土台の上に立ち、「自分を持つ」ことが大切です。そしてその土台となるのが「自分さえよければ」という人としての弱さから出てくる思いではなく「共に生きる」という、人も自分も大切にできる信念なのです。

  自分は自分である。何億の人間がいても自分は自分である。
    そこに自分の自信があり、誇りがある  (松下幸之助)

 アダムとエヴァの物語に示された人の弱さを常に意識しつつ、「他者と共に生きる」というしっかりとした信念を持った子どもたちを育てるために、私たち大人もしっかりと自分を持って生きていかなくてはいけないと思っています。
                       (園長 鬼木 昌之) 
<2017>10月のおたより(運動会号)
運動会へのご協力ありがとうございました
2017年10月16日

 雨のため1日順延した今年の運動会。日差しは強かったものの木陰に入ると吹く風もさわやかで、良い運動会日和となりました。子どもたちに大きな声援を送ってくださった皆様、園庭や園の内外で運動会の運営に協力していただいた皆様のおかげで、今年も素晴らしい運動会になりました。本当にありがとうございました。 

 運動会や遠足は、大人になってからも大きな思い出として心に残るもの。中には幼稚園の運動会で踊ったお遊戯を今でも覚えているという方も。それほど思い出深い運動会。天使幼稚園でも長い歴史を刻んでいます。このように毎年繰り返し、長い歩みを重ねている行事は、時としてそのねらいや大切にするべきことが次第に薄れ、出来栄えの方に気を取られるということもあるようです。

 天使幼稚園では今年度「初心」「笑顔」「チャレンジ」という年間目標を掲げ、それぞれの行事や活動について原点に戻ってそのねらいを確認し、さらに新しいことにもチャレンジしながら、みんなが楽しく活動できるように取り組んでいます。今年の運動会も活動のねらいを見つめ直し、新しいことを取り入れてみました。
            
 初めての運動会を迎えた年少さん。そのデビューの場であるかけっこの時、一人ひとりの名前を呼ぶことにしました。名前を呼ばれ「はい!」と返事をして走った子どもたちは「自分の出番だ」という思いが高まっていたようです。

 年中組の親子競技では、親子で一緒にフーフー体操を踊りながら、その踊りの間に玉入れをしました。交互に肩をたたいたり、フーのところでハイタッチをしたり、親子でふれ合いながらの競技でした

 年長組のリレーは、アンカーを含め走る順番も自分たちで決めました。今までも運動会の中で最も盛り上がる競技でしたが、今年はさらにクラスの団結が高まっていたようです。
 
 運動会を含め、このような大きな行事は、子どもたちのどんな力を育て伸ばしていくのかというねらいを確認することがとても大切なこと。モンテッソーリ教育を取り入れている天使幼稚園では、その教具を使った活動の場だけでなく、さまざまな行事でも一人ひとりが主体的に取り組み、生き生きと活動しながら、それぞれの力を伸ばしていくことができるよう活動を見直し、さらに良いものにできるよう研究を重ねているところです。

 次の大きな行事はクリスマス会。これからもこのような行事を通して、21世紀を生きる子どもたちに必要な力を伸ばしていきたいと思っています。これからもご理解とご協力よろしくお願いいたします。 
                           (園長 鬼木 昌之) 
<2017>10月のおたより
自分でしたかったの 
2017年9月25日

 9月の園庭開放日。お天気が良い土曜日は久しぶりということもあり、たくさんのお友だちが遊びに来てくれました。この日は園児よりも、まだ幼稚園に入る前のお友だちがいっぱい!お家の方と一緒に、思い思いの遊具で遊んでいました。すべり台の下で様子を見ていると、すべり終わると、再び「きのおうち」の階段まで行き網の橋を渡ってすべり台までたどり着くお友だち、途中の丸太の階段を昇り最短距離で来てすべるお友だち、あるいはすべり終わると今度はブランコや鉄棒の方へ走っていくお友だちと、それぞれ自分がしたいことを自由に選んでいます。この年代の子どもたちはこだわりが強く、それぞれが気に入った同じパターンを、満足いくまで繰り返し楽しんでいました。

 園庭開放の終わりの時間、一人の女の子が私のところに近づいてきて、
「自分でしたかったの!」
と訴えてきました。どうやら、遊びで使っていた器の水を、お帰りのためにお父さんが捨ててしまったようです。それが悔しくてお父さんに言ったけれど、まだ足りずに私のところに訴えにきたのでしょう。

 まだ幼稚園に入る前の子どもたちだけど、このように「自分で選ぶ」「自分でする」さらに「満足できるまで繰り返したい」という強い思いを持っているのが分かります。そして、それが一人ひとりの子どもたちの成長の原動力になっています。

 天使幼稚園ではモンテッソーリ教育を取り入れて、子どもたちを育てています。その基本理念のひとつが、まさにこの「自分でしたい」「満足できるまで繰り返したい」という思いを尊重することです。その理念を活かすために、昨年度からモンテッソーリの教具を使ったお仕事以外でも、子どもたちの自主的な取り組みを重視した活動を数多く取り入れています。

 今年の夏期保育でも、子どもたちがその日の活動を自分で選ぶプログラムを準備しました。「モンテッソーリのお仕事」「何でも作っていいですよコーナー(廃材遊び)」そして「外遊び」。この日はそれまで続いていた涼しい日から、夏らしい暑さが戻ってきた日だったので、外に行きたい人は少ないかなと思っていたところ、何と一番人気は「外遊び」。やはり大人とは感覚が異なっています。「何でも作っていいですよコーナー」でおもちゃを作った年少さん、お家に帰ってからもそのおもちゃを使って嬉しそうに遊んでいましたとお母さんから報告が。こうして自分から進んで取り組み作り上げた作品にはそれだけ愛着も湧くものです。

 運動会では年長さんのリレーの順番やアンカーも自分たちの話し合いで決めることにしました。一つのクラスでは、「だれが速いか、一度走って確かめたい」という声が上がり、次の日の朝の活動の時、園庭を走ってみてからアンカーなどを決めていました。別のクラスでは「ジャンケンで決めたら、ジャンケンに負けた人は悲しいよ。」という意見が出て、みんなで話し合うことにしたそうです。最後はなかなか決まらず「くじびき」にしたとのこと。でも、こうして話し合う過程を経たことは、子どもたちにとって大きな経験になりました。

 国際化が進み、多様な考えの人が共に暮らす社会を生きる子どもたち。受身の学びから自分で考え取り組む姿勢がとても重要な力になります。子どもたちはみんな、好きなこと、興味があることに対し「自分でしたい!」「やりとげたい」という強い思いを持っています。その思いを成就出来る環境を整えてあげることが、一人ひとりの力を伸ばす礎になるもの。これからも子どもたちの思いを大切にした活動をたくさん取り入れ、みんなの力を伸ばしていきたいと思っています。
                            (園長 鬼木 昌之)
<2017>9月のおたより
 神さまからの預かりもの
2017年9月4日

 気温が低く夏らしくない日々が続いたり、何十年に一度という大雨に見舞われたりした今年の夏休み。みなさん、いかがお過ごしでしたか? 夏らしい暑さが戻ってきた8月23日からの夏期保育、子どもたちは大喜びで水遊びをしたり、ぎらぎらと照りつけるお日さまをものともせずに園庭を駆け回ったりしていました。お日さまが西の空に傾き始めたころ登園してきた28・29日の夕涼み会には、お家の方と一緒に浴衣や甚平など涼しそうな服装をした子どもたちが登園。久しぶりに大勢のお友だちと会い、ニコニコ笑顔でゲームやうちわ作り、盆踊りに取り組んでいました。夏休みならではの楽しい活動でしたね。

 今年の夏休み、日本カトリック幼児教育連盟の教職員研修大会が東京で行われ、天使幼稚園の先生も全員が参加しました。日本各地から1200名の先生が集まったこの大会のテーマは「カトリック園のミッション~神さまに向かう心を育む~」というもので、現在幼稚園が抱えるさまざまな課題に向き合い、子どもたち一人ひとりが生かされ成長していくことができるようにするにはという観点で、講演会や分科会が持たれました。

 基調講演の中で名古屋教区の松浦悟郎司教様は「『あなたが、今、あなたであることが大切です。』と言ってあげられることが重要です。」というお話を通して、画一化された望ましいとされる姿に引っ張っていくのではなく、その人がその人らしく生きることを大切にしてくださいという思いを伝えてくださいました。特別講演でも都立小児総合医療センター副院長の田中哲先生から「現代社会は、being=他ならぬその人として存在すること=を認められない傾向があるのではないか。」というお話をして頂きました。お2人のお話の根底にあるのは、カトリック園で育つ神さまから創られた掛け替えのない子どもたち一人ひとりを、個として大切にしてくださいという思いでした。

  「神は御自分にかたどって人を創造された。
   神にかたどって創造された」 (創世記1章27)

 すべての人は神さまにかたどって創られました。でも十人十色ということばがあるように、人はみんな性格も考え方も異なり、得意なこと苦手なことも人それぞれです。神さまは画一的に人を創造したのではなく、個性を尊重し一人ひとりに自由と自己決定権を与えてくださいました。

 こうして与えられたさまざまな能力や才能を、人は自分だけの力で得たものと勘違いし、与えられた自由も、自分勝手に何でもできると解釈しがちになっていることがあるようです。恵まれた才能や能力が自分だけのものと思う心から、自分さえ良ければという行動が生じ、自分が自分がという思いがぶつかり合うことで対立が生まれます。

 そこでちょっと視線を変えて、“他ならぬその人”である一人ひとりの才能や能力、そして自分の思いや社会とのつながり、さらにその人の命は、すべて神さまから預かっていると考えてみてはいかがでしょうか。

     「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。
      わたしがあなたがたを愛したように、
      あなたがたも互いに愛し合いなさい。」
               (ヨハネによる福音書第13章34)

 私たちおとなも、そして未来を担ってく子どもたちも、一人ひとりが自分らしく生きつつ、イエスさまが教えてくださったように、互いに愛し合いながら人のために自分が預かったすべての力を役立てていく。そこを目指すことがカトリック園の意義であるのではないかと考えた研修大会でした。                          (園長 鬼木 昌之)
<2017>夏休みのおたより
豊かな体験の中から
2017年7月14日
 
 「♪マル・マル・モリ・モリ みんな食べるよ♪」
6年前、たくさんの子どもたちが歌って踊った「マルモのおきて」の主題歌。この番組に出演し、その後も子役として活躍してきた芦田愛菜さんが、今年の4月、私立中学に入学しました。芦田さんは受験勉強をがんばっただけではなく、読書の質と量も充実し、自身の知識の糧になっているそうです。

 将棋界では中学3年生の藤井聡太さんが、並み居る先輩方と対戦する中29連勝という大記録を打ちたてました。藤井さんは小さい頃から想像力を高めるおもちゃで遊んだり、コンピューターの将棋ソフトを通して、今までにない手を数多く学んだりしてきたそうです。

 卓球界では、幼い頃から卓球に打ち込み17歳になった平野美宇さんが、世界一強い中国の選手を破るほどの力をつけてきました。昨年リオ五輪で女子チームの補欠だった平野さんは、その悔しさをバネに、中国で現地の選手と試合をする中で実力を伸ばし、今の地位を築きました。

 今、このようにいろいろな世界で若い人が活躍し、それを見た子どもたちも彼らに憧れ、自分もやがてはそのような活躍をしたいと思っているようです。でも得手不得手があったり、きっかけがなかったり、その道の才能がなかったりと、誰もが同じように活躍することは難しいものです。

    憧れを持ちすぎて、自分の可能性を潰してしまう人はたくさんいます。
    自分の持っている能力を活かすことができれば、
    可能性は広がると思います。(イチロー)

 神さまは一人ひとりに、その人ならではという力を与えてくださいました。今、活躍している人を見て、自分も同じ道で活躍しようと思っても、全員が同じように活躍することは不可能なことです。でも、自分に与えられた力を発見し、それを活かし活躍することを目指すことを通して、一人ひとりの可能性が広がるものです。無限の可能性を秘めた子どもたち。どんな道でその才能を花開かせるのかは、まだまだ未知の世界です。その可能性に子ども自身が気づき、挑戦できるようにするためには、一人ひとりが豊かな体験をする中から、興味関心を持ち「やってみよう」と思うことを見つけ出すことが大切です。

 1学期が終わり、長い夏休みが始まります。日常生活から離れ、たくさんの時間があるこの時期だからこそ、子どもたちには普段はできない、いろいろなことに挑戦してほしいと願っています。どこかにお出かけするにしても、ただ愉快に遊ぶだけでなく、知的好奇心を満足させることができるように仕向けることはとても大切なポイントです。またお出かけしなくても、日々の生活の中、本を読んだり、耳を澄まして日頃は聞き流す音をじっくりと聴いたり、視点を変えて周りを見つめたり……。そのような中、何か心に響くものがあるとしめたもの! それが夢、理想へと高まる可能性が広がり、その人ならではの道へとつながっていきます。

   人がこの世に生きていく限り、やはり何かの理想を持ちたい。
   希望を持ちたい。
   それも出来るだけ大きく、出来るだけ高く。 (松下幸之助)

 一人ひとりが、神さまから与えられた可能性に気づくことができる、そんな夏休みになると良いですね。
                           (園長 鬼木 昌之) 
<2017>7月のおたより
灯 台
2017年6月21日
 
 先週は父の日の集いへのご参加、ありがとうございました。お家の方がいらっしゃったので、いつも以上に張切っていたり、見られているからちょっぴり緊張していたりと、一人ひとりの様子は違っていても、みんなの心は嬉しさでいっぱいだったことでしょう。お家に帰ってからも、モンテッソーリのお仕事や、一緒に楽しんだ大玉送り、お子様からのプレゼントの話題で盛り上がったのではないでしょうか。

 未来を生きる子どもたちにとって、こうして見守ってくださるお父さんやお母さんは、自分が進む道を決めるために必要な灯台のような存在です。広くて暗い大海原を航海するとき、灯台の光は大切な大切な道しるべであり、その進む方向を決めるために欠かせないものです。船の乗組員は大きな海図を広げ、灯台の明かりを頼りに、ここを東に進めば港に着くことができる、西に進めば大きな島にぶつかるなどと判断し、航路を決めるのです。

 この灯台のように、子どもたちに進む航路の情報を示すことが、お父さん、お母さんに与えられた大きな役割です。ただそれは、子どもの未来に向けて線路を敷く仕事とは少し違っています。子どもたちは各々自分の海図を持ち、灯台の明かりを頼りに右に進むか左に進むかを、自分らしさを発揮しながら決めていきます。お父さん、お母さんは子どもの思いを汲み取り、常に先を進みながら新たな灯台の光を示し続けることが求められています。

 ひと昔前の教育は、みんなが同じ方向を向き、同じように力を発揮することが求められ、それについていけない人が「落ちこぼれ」になってしまっていました。

   「もしからだ全体が目だとすれば、どこで聞くのか。
    もし、からだ全体が耳だとすれば、どこでかぐのか。
    そこで神は御旨のままに、肢体をそれぞれ、
    からだに備えられたのである。」 
                      (コリントの教会への手紙一12章)

 このたとえのように、神さまは一人ひとりに「自分らしさ」を授け、その人でなければという役割を与えてくださいました。世界の垣根が低くなり、多様な価値観を持った人々が共に生きていくこれからの時代だからこそ、一人ひとりの個性、自分らしさが大切になっていきます。

 航路を示す灯台は、一つひとつ光の強さや点滅する時間が異なり、航海をする人はその違いによってどの灯台かを判断し、自分の位置を知ることができるそうです。子どもたちに進路を示すお父さんお母さんは、子どもの位置を確かめ、そのあゆみを進める方向を見極め、その時々に必要な光を届けることを通して、子どもたちの成長を助けていくことが求められています。それは、決められた線路の上を走らせるのではないだけに、細やかな観察力と、子どもの思いを尊重する寛容さ、そして子どもの力を信じる信頼感が必要になってきます。

 「凡庸な教師はただしゃべる。良い教師は説明する。
  優れた教師は自らやってみせる。
  しかし偉大な教師は心に火をつける。」(ウィリアム・アーサー・ワード)

 灯台の役割はこの偉大な教師のようなものではないでしょうか。
                            (園長 鬼木 昌之) 
<2017>6月のおたより
想像力が生み出すもの
2017年5月24日

 先日お弁当の時間、子どもたちと食事をしていると、子どもたちがことば遊びを始めました。
「えんちょうせんせいの おうちが くじらに なっちゃった。」
「えーっ!おおきな おうちだね。」
「えんちょうせんせいの おうちが りんごに なっちゃった。」
「おいしい おうちだけど、たべたら なくなっちゃうよ~。」

 すると、周りの子どもたちも次々に、 
「しんかんせんに なっちゃった。」「うちゅうに なっちゃった。」
と楽しそうにいろいろな物に変身させ、その遊びは、お食事が終わるまで続きました。

 おとなからみると、他愛の無い単純な遊びだけれど、子どもたちはこれだけで充分楽しめるもの。それは、子どもたちの頭の中に浮かぶ世界が、おとなとは異なっているからではないでしょうか。言葉を自由に操ることができるようになったおとなは、このようなことば遊びをしても、言語として認識しています。ところが子どもたちは、それが映像として見えているようです。「くじらになっちゃった。」というと、頭の中にボヨーンと園長先生が鯨のお家に住んでいる風景が浮かんでくる、「りんごになっちゃった。」というと、りんごの中に住んでいる園長先生が浮かんでくる………。おとなでも、そんなシーンを思い描くことができると、なんだかうきうきしてくるものです。このように、想像の世界で映像を楽しむことができる子どもたち。そのような豊かな想像力を大切にすることが、子どもたちの成長には欠かせないものです。

 まだ体験が少ない子どもたちだから「くじらになっちゃった。」「うちゅうになっちゃった。」といっても、鯨や宇宙の様子を知らないとその光景は頭の中に広がらないでしょう。その土台となるのは豊かな体験です。鯨やりんごや新幹線。さらには、ぐるりと周りを囲む緑の草原、高い山から見下ろす尾根筋の道、ドーンと岩にあたって砕ける波の音………。象ってどれくらいの大きさ、きりんの首の長さは、りすの動きは?このような自然や生き物のことだけではなく、「東京ドーム○杯分」も、実際に野球場を知らないと想像できません。このようなことを含め、多くの体験を自分の財産として持つことで、子どもたちはどんどん想像を膨らませ、その世界をぐーんと広げていくことができるようになるものです。

 また、子どもたちは実際に見たり聞いたりしたものを擬人化することも得意です。花や木、動物たちがしゃべり出したり、ぬいぐるみが声をかけてくれたりすることも、子どもたちにとっては日常の世界です。時々「ぼく、おばけをみたことがあるよ。」という子どもがいます。その子は適当な作り話をしているように思えても、実際にはその子の頭の中の世界では、本当におばけが出ているのではないでしょうか。そして、これらすべてが子どもたちの豊かな想像力の産物なのです。
今年の4月、東京大学の五神真総長が入学式の式辞の中で
「あらかじめ用意された問いに答える受け身の学習から、自由で主体性ある能動的な学びへとギアチェンジしてほしい」
「まだ答えがない問いを自らが作れるようになってほしい」
と呼びかけられたそうです。答えを見つけるのではなく、問いを見つける。まるで無から何かを生み出すような話です。この無から何かを生み出す核となるのが、一人ひとりの体験が土台となった想像力なのです。

 科学技術が発達し、かつては「十年一昔」と言われていたものが、最近は「五年一昔」に。さらには、次々に新しい技術が生み出され「一年一昔」といえるようなこれからの時代。子どもたちには、「無からすばらしい成果を生み出す」豊かな想像力を養い、大切に育んでいってほしいと願っています。                 
                          (園長 鬼木 昌之)
<2017>5月のおたより
こ だ ま
2017年4月26日

「やっほー」「やっほー」 「おーい」「おーい」

みなさんは子どものころ、山に登ったりトンネルを通ったりするときに思わず大きな声で呼びかけたことはありませんか?自分の声がそのまま跳ね返ってくる不思議さやおもしろさ。昔の人はこの不思議な現象を山の精霊「山彦(やまびこ)」からの返事と捉えたり、木の精霊「木霊(こだま)」からの返事と考えたりし、やがて跳ね返ってくる声自体を「やまびこ」「こだま」と呼ぶようになりました。

 なぜ「やっほー」と叫ぶのかという説の一つに、これは聖書に出てくるヘブライ語の「神」の呼び名「ヤハウェ」がなまって「やっほー」になったというものがあります。昔ドイツ人の宣教師が山に登り、その素晴らしい光景に思わず「神さま(ヤハウェ)」と呼びかけた。それが「やっほー」の始まりというものです。ここにも木霊と同じように、人の力を超えた大きな力があることを感じたという共通点があるようです。

 「木霊」に似たことばに「言霊(ことだま)」があります。これは「言葉」に宿る不思議な霊的な力のことです。人類は言葉を生み出しコミュニケーションをとることを通して、大きな共同体、社会を築き発展してきました。その中で言葉には、相手を包み込む力や、相手を傷つける力があることに気付き「言葉」には不思議な霊力があると考えるようになりました。

 聖書でも言葉は特別なものとして取り上げられています。

「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。」
                       (ヨハネ福音書)

日本語の「言霊」と同じように「言」は神さまであったと書かれています。このように洋の東西に係らず、人々は言葉の大切さやその力の大きさを感じてきました。

 幼稚園に通う子どもたち。家族という小さな社会から、たくさんのお友だちや先生と交わる少し大きな社会の中に入ってきました。この集団の中で、自分の思い通りにならないことがあることや、自分とは違う考えの人がいること、そして自分の思いを上手に伝えることの大切さを学んでいきます。いろいろな言葉をどんどん吸収していく子どもたちは、友だちとのふれ合い、あるいはお兄さんお姉さんとの交わり、そしてテレビなどのマスコミなどを通してたくさんの言葉を覚え使うようになっていきます。時には「えっ、そんな言葉どこで覚えたの?」と思うような言葉を使うこともあります。

「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう。 「ばか」っていうと「ばか」っていう。
「もう遊ばない」っていうと「遊ばない」っていう。
そうして、あとでさみしくなって、「ごめんね」っていうと「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、いいえ、だれでも。  (金子みすゞ)

 自分が発した言葉は、相手を幸せにもできるし、悲しくもさせられる。そして、それが自分にも返ってくる。まだまだ小さな子どもたちだから、このような言葉の持つ大きな力を大人が意識し、子どもたちの口から出る言葉に気を配ってあげたいものです。
                            (園長 鬼木 昌之) 
<2017>4月のおたより
初心 ・ 笑顔 ・ チャレンジ
2017年4月10日

 寒い日が続いていた今年の春ですが、先週末からぐんと気温が上がり、街中の桜も一気に花を開いて子どもたちの入園・進級をお祝いしてくれています。世界の国々との交流が盛んになるにつれ、日本の新学期も欧米に合わせて9月にしてはという意見があるものの、やはり新学期は桜舞う頃でなければという声も多く、4月スタートは当分変わりそうにはありません。それほど日本の人にとって桜は特別な思いを持った花のようです。

 創立71年目を迎える天使幼稚園。今年もたくさんの新入園児、そしてエンジェルクラスのお友だちを迎えてスタートします。子どもたちそして保護者の皆様と同じように、私たち職員もわくわくしながらこの日を迎えました。

 新しいことが始まるときのわくわく感、また新しい出会いへの期待や緊張はその時にしか味わうことができない貴重なものです。そして、この思いがそれからの活動の礎となり、自分たちを大きく成長させてくれる土台となるものでもあります。600年ほど前に活躍した能楽師世阿弥はその著書の中に「初心 忘るべからず」と記しています。それは初めの志を忘れないようにという教えと共に、何かができるようになった時、慢心することなく今をふり返り、更なる成長を志す、そこに「初心」があるとも教えてくれています。71年のあゆみを残してきた天使幼稚園でも、今一度「美しいこころ」「強いからだ」「明るいこども」という園のモットーを基に、すべての活動をふり返り「初心」を大切にしながら更に良い幼稚園にしていこうと考えています。

 家族という小さな社会から、同年代のお友だちと共に生活する幼稚園という少し大きな社会の仲間入りをした子どもたち。この時期の子どもたちにとって大切なことのひとつが、「自分は他の人から受け入れられている」ことや「自分とは異なる考えの人がいる」ということを、体験を通して感じながら「自己肯定感」を高め「他者を受け入れる心」を育むことです。そして、その人と人とを結ぶ有効な手立てが「笑顔」です。

「ただニッコリと微笑むことが どれだけ多くの素晴らしいことに つながっていくのか。」
                          (マザー・テレサ)

嬉しいから、楽しいから笑う、それだけではなく、悲しいとき怒っているとき、まず笑顔を作ることを通して自分の心を落ち着け、相手を大切にする思いを高めていく、それが社会生活の中で大事であることを、子どもたちも我々大人も心していきたいと考えています。

 長いあゆみを重ねていると、ついつい「今までどおり」に物事を進めることが多くなっていきます。それは長い経験の中で「これが良い」という方法を作り出し「今までどおり」になってきたからです。でも、そうなるためには折にふれて改善を積み重ね、より良いものにしてきた足跡があるはずです。このように「今までどおり」は常に見直しをし、新しいチャレンジを加えて改善していくことが求められていると言って良いでしょう。

「チャレンジして失敗を恐れるよりも、何もしないことを恐れろ。」
                          (本田宗一郎)

より良い幼稚園にするために、今年度は今までしていなかったことにチャレンジすることにも積極的に取り組んでいきたいと考えています。あれ?今までと違っていると思われることもあるかもしれませんが、それは更なるステップアップを図るための一歩と考え、前向きにご協力いただければと思っています。

 「初心」「笑顔」「チャレンジ」この3つをこの1年間のモットーとして、皆様方と共に、子どもたちの成長を援け、見守っていきたいと思っています。今年度もどうぞよろしくお願いいたします。

                    (園長 鬼木 昌之)

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