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<2024卒園文集> |
未来の夢 |
2025年3月19日 |
今年の1月の歌会始の儀のお題は「夢」。
天皇陛下は、
旅先に 出会ひし子らは 語りたる
目見(まみ)輝かせ 未来の夢を
という歌を、天皇皇后両陛下の長女愛子さまは初めて歌会始の儀に参加され、
我が友と ふたたび会はむ その日まで
追ひかけてゆく それぞれの夢
という歌を寄せられました。お二人とも、希望にあふれた未来を想う歌を詠まれています。
そして、この卒園文集には「おはなやさん」「やきゅうせんしゅ」「ようちえんのせんせい」「おいしゃさん」「ゆーちゅーばー」「きゃらくたーでざいなー」………みなさんの未来の夢がたくさん記されています。それはあこがれであったり、強い思いであったり。一人ひとりの思いの強さは異なってはいるけれど、きっと、将来その夢を叶えている人もいることでしょう。
子どもの頃の夢を叶えた人は大勢います。
ケンタッキーフライドチキンの創始者であるカーネル・サンダースは、子どものころお父さんを亡くし、お母さんを助けるために6歳のころから料理をするようになりました。そして、自分が作った料理を喜んで食べる家族を見て「おいしいもので人を幸せにしたい」と思うようになったそうです。
大人になったサンダースは、ガソリンスタンドやカフェ、レストランを経営し、そこで出したフライドチキンが人気の商品になりました。しかし、高速道路ができて人の流れが変わり、お客さんが来なくなって、レストランを閉じることになりました。65歳になっていたサンダースですが、調理法を教えることと引き換えにインセンティブをもらうフランチャイズビジネスに挑戦。それが成功して、今では世界中の多くの国でケンタッキーフライドチキンを食べることができるようになりました。
メジャーリーグで活躍する大谷翔平選手も、夢を叶えた一人です。大谷選手は高校生の時、プロ野球の道に進むためにはどのような努力をすれば良いかを目標達成シートに書き出しました。そこには技術的なことだけではなく、運を引き寄せるためにと「あいさつ」「ごみひろい」「プラス思考」などの心がけも記していました。
そして、日本ハムに入団した大谷選手は栗山監督と出会い、それまでは考えられなかった二刀流を認めてもらったことが、今の活躍に結びつきました。「運」も努力によって引き寄せることができるもののようです。
卒園文集に将来の夢を記したみなさんは、これから多くの体験や、いろいろな人との出会いの中で、その夢が大きくふくらんだり、新たな夢を抱いたりするようになっていくことでしょう。それは、やがてあこがれから、強い願いへと変わっていくものです。
これから小学校、中学校……と学びを通して成長していくみなさん。日々の学びの中で、ぜひ大きな夢を抱いてください。そしてその夢を達成することができるよう、大谷選手のように具体的な行動目標を掲げてみてください。
そんなみなさんに、カーネル・サンダースは次のような言葉を残しています。
「私がやったことなど、誰にもできる事だ。ポイントはただ一つ。心から『やろう』と思ったかどうかである。心が思わないことは、絶対に実現できない」
さらにディズニー映画やディズニーランドの創設者ウォルト・ディズニーは、
「夢見ることができれば、それは実現できる。いつだって忘れないでいてほしい。」
と呼びかけています。
卒園した後も、時々この文集を手に取り、自分の夢を確かめたり、園長先生からのメッセージを読み返したりしてみてください。
大人になったみなさんが、大きな夢を叶えることができていますように。
(園長 鬼木 昌之) |
<園長だより「風」春休み号> |
変化を乗り越えた先に |
2025年3月18日 |
暖かな春を待つ3月は、多くの人にとって新しい生活を準備する季節になっています。年長さんは幼稚園を卒園し、4月からは小学校に進みます。年中さんや年少さんも、今のクラスのお友だちや先生と別れ、新しいクラスの友だちや先生と出会います。この文章を読んでいるみなさんの中にも、4月になると大きな変化が待っている方がいらっしゃるのではないでしょうか。
今までの生活のリズムが大きく変わってしまうことへの不安や、未知の出来事にうまく対応することができるかという心配。知らない人ばかりの中に飛び込んだ時、上手に人間関係を築くことができるかどうか自信がない………。人は誰でも大きな変化があるときには、戸惑ったり心配になったり不安を抱いたりするものです。この「不安」というのは、危険を回避するために人に備わった能力のひとつです。不安な思いを持つことで、慎重に行動したり、時には進むことを止めたりすることができるのです。しかし、不安な思いばかりがふくらんでいくと、自分自身の心が負け、先に進むことができなくなってしまいます。さらに、人は日々の暮らしに慣れてくると、なかなか変化を求めようとは思わなくなります。誰しも変化することでいろいろと思い悩むより、今のまま過ごしている方が楽だからです。
でも、変化は人類や生物にとって重要な働きをしています。「葉っぱのフレディ」の作者レオ・ブスカーリアは「変化は真の学びの結果です」と語っています。昨日より今日、今日より明日と、多くの人が常により良い状況を生み出すことができるよう変化を図ってきたからこそ、今の社会や生活が生まれました。もし、人類が変化を求めて知恵を働かさなかったら、今でも原始人と同じ生活が続いていることでしょう。さらに、進化論を唱えたダーウィンは、「生き残ったのは強い者でも賢い者でもない。常に変化し続けた者である。」と言っています。人類だけではなくあらゆる生物も変化することによって、環境に適応し、存在できるのです。
今、時代は大きく変わりつつあります。人口知能AI(Artificial Intelligence)が進歩し、顔認証システムができたり、人と会話をする機能ができたり、文章を書き起こすことをしてくれるようになりました。試しにChatGPTを使って「変化を乗り越えた先にというテーマで作文書いて」と書き込むと、『変化を乗り越えることは、決して容易ではない。時には、辛く、苦しい思いをすることもあるだろう。しかし、その先に待っているのは、今まで見たことのない新しい世界、そして、成長した自分自身だ。変化を恐れず、勇気を持って一歩を踏み出す。その先に、きっと素晴らしい未来が待っている。』という文を生成してくれました。学校で作文の宿題を出した時、本当に本人が書いているかを判別できるかと心配になるほどです。
フランスの哲学者ブレーズ・パスカルは「人は考える葦である」という言葉を残しました。人は弱い存在であるけれど、考えを巡らせることを通して不安な要素を取り除き、様々な障壁を乗り越え、新しい時代を創ることができるのが、人のすばらしさです。わたしたち人間が現状に満足していると、やがて人工知能やロボットに取って代わられるかもしれません。それを避けるためには、わたしたちが、社会の進歩以上に自分たちを変えていくことが求められています。
変化を恐れず、未来を見据え新たな一歩を踏み出す、そのような1年のスタートになるよう、準備をすることができると良いですね。
(園長 鬼木 昌之) |
<園長だより「風」3月号> |
視点を変えると |
2025年2月21日 |
ぼくからみれば ちいさなかめも ありからみれば きっと おおきなかめかな?
ぼくからみれば おおきないえも やまのうえからみれば こびとのいえみたい
フォークシンガーのイルカさん作詞・作曲の「まあるいいのち(1980年)」の一節です。小さな亀を蟻になって見上げたシーンを想像してみてください。それはかわいい亀ではなく、恐ろしい亀に見えるのではないでしょうか。門の前に立つと大きなお屋敷も、山の上から見れば小さな家に見え、大自然の前には人の営みは小さく感じたということも、多くの方が体験しているようです。このように、ひとつの視点で見ていたものを、別の視点から見ると、全く異なるものに見えるようになることを、この歌は教えてくれています。
わたしたちは日常生活の出来事を、自分がそれまでに培ってきた視点で見ています。長年の生活の中でそれ以外の見方があることに気付かなかったり、忙しさの中、他の見方を考えるゆとりがなかったり、今の見方だけが正しいと信じ込んで別の視点で見ることをしようとしなかったり……。でも少し視点を変えると、新たな気づきがあったり、気持ちが楽になったりすることがあるものです。
何か課題にぶつかった時、視点を変えることが大きな力になることがあります。心理学でこれを「リフレーミング」と呼んでいます。半分まで水が入っているコップを見て「あと半分しかない。」と考えることと、「あと半分残っている。」と考えることとで、同じ事象でも全く異なる捉え方になるものです。カウンセリングなどでも、その考え方を活かして、心が楽になるように導いていくことがあるそうです。
日本の教育も大きく視点を変えつつあります。先生が教壇に立ち、黒板にチョークで授業のポイントを書き、それを生徒が一生懸命写し取るという授業風景は、もう過去のものとなりました。そのような授業を通してより多くの事を覚えることよりも、準備された課題を、友だちと話し合いながら解決していく過程を大切にするアクティブラーニングなどを通して、自ら課題を解決することができる力を養うことが求められるようになっています。知識の量から知識の質への視点の転換です。天使幼稚園でも、子どもたちが小学校に進学した後、新しい学びに積極的に取り組んでいくことができるように、コミュニケーションの機会を増やしたり、子どもたちの思いを活かすことができる制作に取り組んだりと、以前とは視点を変えた活動に取り組んでいます。
「富んでいるあなたがたは、不幸である、あなたがたはもう慰めを受けている。
今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、あなたがたは飢えるようになる。
今笑っている人々は、不幸である、あなたがたは悲しみ泣くようになる。」(ルカ6章24~25)
これは、今週の日曜日にミサの中で読まれた聖書の箇所です。富んでいる人、満腹している人、笑っている人は「不幸である」と示されています。普通だったらそれは幸せな人ではないかと思うところです。ミサの中で、フランシスコ会の古里慶史郎神父様は、富み、満腹し、笑っている人がそれを自分だけの喜びとし人に分け与えないとしたら、やがてそれを失う日がやってきます。神さまは、弱い人苦しむ人にこそ、多くのお恵みをお与えになりますと教えてくださいました。ここでも視点を変えることで、人として大切にしなくてはいけないことが見えてきます。
今何か課題にぶつかって悩んでいる方、困りごとがある方、何かに怒っていることがある方がいらっしゃったら、ちょっと立ち止まって別の視点はないかと探ってみてください。新しいアイディアや解決法が見つかるかもしれません。日々順調に暮らし、特に困っていることがない方も、一度ゆっくり自分の歩みを別の視点で眺めてみてください。自分の日々の生活が周りの多くの人の援けによって成り立っていることに気付くきっかけになるかもしれません。
視点を変えることは、一人ひとりに大きな可能性を与えてくれるものです。
(園長 鬼木 昌之) |
<園長だより「風」2月号> |
内面の成長を見抜く力 |
2025年1月23日 |
先月の園庭開放の日、赤バッジ(年少)さんが、幼稚園入園前の小さい子の手を引いて、木のおうちの階段を登らせてあげていました。幼稚園の中では最年少で、ちょっと甘えん坊さんかなという子も、小さな子と一緒になると、ぐんとお兄さんお姉さんらしくなっています。まだまだ幼いと思っていても、あっという間にいろいろなことができるようになり、ぐんと成長しているのが、この年代の子どもたちです。
今年は「自ら伸びる力を育む」というテーマを掲げ、幼稚園生活全体を見直しながら子どもたちの成長を援けている天使幼稚園。12月のクリスマス会では、この目標を強く意識しながら「させられる練習」ではなく「自分から進んで取り組む練習」になるよう、多くの手立てを組み子どもたちの活動を支えてきました。
主体的な活動にするための第一歩は「目標を明確にすること」です。天使幼稚園を含めて多くのカトリック園では、ステージでの催しを「クリスマス会」としています。それは、劇を演じたり、歌や楽器の演奏やお遊戯をしたりする様子を見ていただくことに留まらず、自分の力を神さまや、お客様のために使おうという「心」を大切にしようという思いからです。クリスマス会に向けての練習を始める前に、先生から子どもたちにこの目標をしっかりと伝え、例年以上に「自分の力をみんなのために」ということを意識して取り組む事ができるように声掛けをしてきました。
ある日の年長さんの練習日。お弁当の時間になって一旦練習が終わったところで、「ねえ、もう少しだけ、できてなかったところの練習をしてみない。」と先生が呼びかけると、多くの子が「いいよ。」と答えていました。初め「え~。」とつぶやいた子も、すぐに「いいよ。」と答え、もうひと頑張り。自分から進んで取り組もうとする姿の一端を見ることができた一瞬でした。
さらに「見通しを持たせること」も大切です。運動会やステージの練習は、得てして先生ペースで進みがちですが、今回、年長さんは「45分間グループ練習⇒10分間休憩⇒45分間ステージで通し練習」という時間配分の見通しを持たせて練習に取り組みました。練習時間の見通しを持ったことで、子どもたちは、「もうやりたくない」や「まだやるの」などのマイナスな声がなく、集中して練習に取り組む事ができていました。
また子どもを信頼して「任せること」も子どもの主体性を育むことにつながります。練習の早い段階で「今日は先生のお手伝いなしで、自分たちでできるかな?」と声掛けをすることで自立を促すことや、振り付けの基本を教えた後、一人ひとり自分で考えた動きを取り入れ、自分自身の演技にできるようにしました。形に当てはめるのではなく自分で動きを考えたことで、動作の理解も深まり練習もスムーズにいきました。
この他にも、子どもの主体性を育むことを意識して取り組んだクリスマス会。クリスマス会当日、お休みの子がいた時「代わりにセリフを言っていいよ。」と自ら名乗りを上げる子どもが多く見られました。また、大勢のお客様の前に立つことが苦手で、顔を見せることができなかった子も、大道具の裏まで行ってみんなと一緒の劇に参加する姿も見られました。
今年のクリスマス会のステージの上で、声が小さい場面や、セリフの間が空いた時間がありました。お客様の目から見ると「おや?どうしたのかな?」と思われたかもしれません。でも、実はセリフがなかなか言えなかった子が、自分の力を出したいと頑張っていた時間でした。もしこれが完成度を重要視する発表会だったら、今日のステージは上手にできなかったという反省が出るかもしれません。さらに、急にお休みした人のセリフを、朝、一生懸命覚えて代わりに言った子や、なかなかセリフが言えないお友だちのために、もしセリフが言えなかったら代わりに言ってあげることにしていた子が、友だちのために頑張っている姿もありました。このように、神さまに自分の力をおささげするというクリスマス会のねらいに沿った、子どもたちが大活躍したクリスマスのステージになっていました。
日々成長している子どもたち。この例のように表面を見ているだけでは、子どもの内面の成長に気付くことは難しいものです。一人ひとりの子どもの成長を正しく見てあげるために、その子を見守る保育者の「内面の成長を見抜く力」が求められています。
(園長 鬼木 昌之)
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<園長だより「風」1月号> |
喜びに心をはずませ |
2025年1月8日 |
あけましておめでとうございます。2025(令和7)年、巳年がスタートしました。そして今年は、「昭和100年」にあたります。
「昭和」という年号は「百姓昭明、協和万邦」という言葉をもとに「人々の間に徳が満ち、世界が平和になること」を願って付けられましたが、昭和恐慌から太平洋戦争へと続く困難の中からのスタートになりました。しかし、その後、戦後復興期から高度成長期へと大きく発展を遂げていきました。それに続く「平成」そして「令和」にかけては、その勢いが失われ、現在は格差社会と言われ、困難なことが多く見られるようになっています。昭和100年を機に、また昭和の後半のように、希望が持てる時代になっていってほしいものです。
一年の始まりであるお正月には、いろいろな賀詞(がし)があります。旧暦を用いていた時代は、春らしさが感じられ始める頃 (今年は1月29日・遅いときは2月中旬)に新年を迎えることから、「迎春」や「新春」そして、ほめたたえるという意味がある「頌」を用いた「頌春(しょうしゅん)」など、暖かい春を迎える喜びが込められた言葉を用います。また、「謹賀新年」や「恭賀新年」は、謹(つつし)んであるいは恭(うやうや)しく、新しい年を「祝います」という思いが込められています。こうして、日本中、そして世界中で「おめでとうございます」という挨拶を交わしている人同士、互いに笑顔があふれています。
12月の園庭開放の日、ローラーすべり台を、小さなお友だちが「きゃーきゃー。」と歓声を上げ、満面の笑みを浮かべながら滑り降りていました。おうちの方もその姿を見ながら、とっても嬉しそうにしています。その姿を見ながら、これだけ心の底から嬉しさが込み上げ、喜びを表現できる子どもって、周りの人に支えられ、周りの人を信頼しているから、きっとそれを表現することができているのだろうと感じました。でも、大きくなるにつれ、自分の感情を表に出すことが恥ずかしくなったり、多くの体験を積むうちに、心の底から喜び楽しむことが難しくなったりしていくものです。
♪ 喜びに 心をはずませ 救いのいずみから 水をくむ ♪(典礼聖歌164番)
12月のミサの中で歌った聖歌です。その歌の後の説教で、神父様から「みなさん、この歌を、本当に心を弾ませて歌っていましたか?」と問われ、はっとしました。毎週ミサにあずかるうちに、「喜びに心をはずませ」と歌いながら、心が弾んでいない自分がいることに気付かされたからでした。慣れというものは、生活の中で安定をもたらすものの、心を揺さぶる思いを薄めていくものです。ミサのあずかり方を振り返るきっかけになりました。
12月の最後の預かり保育の帰り、子どもたちが口々に「良いお年をお迎えください。」と言いながら帰っていきました。担当の先生が1年の終わりのご挨拶として教えていたようです。新しい言葉を学んだ子どもたちは、嬉々としてその挨拶を交わしていました。新鮮な体験は心も動かすもののようです。そして、年が明け、今度は「あけましておめでとうございます。」と笑みを浮かべながら登園してくる子どもたち。
「おめでとう」という言葉は「愛でる」と「甚(いた)し」が組み合わされてできたもので、とても愛おしい、すなわち相手がとっても大切であるという思いが籠ったものです。純粋な幼い子どもたち。今年も、互いに大切にしあい、喜びに心をはずませながら過ごしてほしいと願っています。
(園長 鬼木 昌之) |
<園長だより「風」冬休み号> |
共に囲む食卓 |
2024年12月19日 |
もうすぐクリスマス。
「クリスマス」という言葉は「キリスト(救い主)」と「ミサ(感謝の祭儀)」とがひとつになったものです。そしてこの「ミサ」は、イエスさまが十字架の受難を受ける前に、弟子たちと共に食卓を囲んだ最後の晩餐(ばんさん)を記念するものです。
天使幼稚園のクリスマス会の聖劇は、イエスさまのご降誕の意味を、子どもたちと共にしっかりと味わうことができるように「天地創造」のお話から始めています。この世界を造ってくださった神さまは、最後に神さまにかたどって、わたしたち人間を造ってくださいました。神さまにかたどったということは、もともと神さまと同じように善いものとして造られたということです。でも、アダムとエヴァのお話にあるように、人間は自分の弱さのため神さまを裏切ってしまいました。それでも、神さまは、わたしたちが心を改め、神さまに近づくことができるようにと、救い主イエスさまを贈り、そのイエスさまは、十字架上で人々の救いのためにご自分の命を捧げてくださいました。でもイエスさまは3日目に復活され、わたしたちに大きな希望と、本当の意味での救いを与えてくださったのです。それを記念するのがミサであり、クリスマスは、イエスさまのご降誕を「お誕生日おめでとう」と単純にお祝いする日ではなく、わたしたちを神さまの近くに導いてくださるイエスさまに感謝を捧げる日にあたります。
♪主の食卓を囲み 命のパンをいただき 救いの盃を飲み
主にあって われらはひとつ♪
(マラナタ:主よきてください / 作詞・作曲 新垣壬敏)
ミサは、参加した人全員が、イエスさまを中心に囲む食卓でもあります。わたしたちは毎日、食べ物を通して栄養を得ています。ミサの中ではイエスさまと共に食卓を囲み、祈りや祝福などを通して「心の栄養」をいただくのです。
「孤食」という言葉があります。家族が団欒(だんらん)することなく、一人で食事をすることを指しています。日本の生活スタイルが変わり、昔は家族そろって食卓を囲んでいるのがふつうだったのが、家族の食事の時間がバラバラになり、一人であるいは子どもだけで食事をとるケースも増えてきているようです。同じものを食しても、大勢の人と共に食卓を囲むことと比べ、おいしさも違えば、栄養の摂取も変わってくるともいわれています。
さらに今の日本では3割の裕福な人と7割のそうではない人とに2分化され、その日の食事も満足にとることができない人も増えていて、各地に「子ども食堂」が広がり、大田区だけでも60近い子ども食堂が運営されています。天使幼稚園の設立母体である「お告げのフランシスコ修道会」でも、月に2回ほど、近くで子ども食堂を開き、食事を提供したり、高齢者の方のための茶話会を開いたりしています。世界に目を向けると、戦争で日々食べるものに事欠いている人びとや、子ども食堂のような支援もなく飢えに苦しんでいる人びとが大勢いるのが現状です。
このように、現代社会では、共に食卓を囲み、豊かな食事を楽しくいただくことから、だんだん遠ざかっているようです。カトリック教会では、クリスマスのミサの中でも、神さまからの贈り物に感謝しつつ、今度は自分たちが周りの方々に贈り物をすることができるようにと、共に祈り、献金を通して多くの方々に喜びを分かち合うことができるようにしています。
カトリック教会では洗礼を受けた人だけでなく、多くの方に門を開き、クリスマスのミサへの参加を歓迎しています。12月24日の夜、イエスさまと共に主の食卓を囲んでみませんか。
(園長 鬼木 昌之)
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<園長だより「風」12月号> |
待降節(たいこうせつ) |
2024年11月25日 |
12月が近づき、先日のニュースで、「東京タワー ウィンターファンタジー」が始まり、玄関前にはクリスマスツリーに見立てた高さ10mの「リトル東京タワー」が輝いていますと紹介していました。季節は一気にクリスマス、そしてお正月へと進んでいきます。
1年の始まりはお正月。毎年1月1日に多くの国で新年を迎えますが、これは1582年にローマ教皇グレゴリオ13世が定めたグレゴリオ暦(西暦)によるものです。日本では明治5年までは、太陰暦が用いられていました。この太陰暦では、来年の元日は1月29日(旧正月)になっています。また、日本の学校や多くの職場の1年のスタートは4月です。海外では長い夏休みが終わった9月が新学期というところも多いようです。カトリック教会では、イエスさまの誕生や復活祭をもとにした典礼の暦を用いています。この暦ではクリスマスを迎える準備の時期、待降節から1年が始まります。待降節はクリスマスの4週前の日曜日から始まり、今年は来週の日曜日12月1日からスタートします。1年の始まりといっても、いろいろあるものですね。
クリスマスが12月25日に定められたのにも理由があります。イエスさまの教えを、多くの人々に伝えていくためには、その土地その土地の人々の習慣や思いを大切にすることが必要になってきます。4世紀の半ば頃、ローマの人々にイエスさまの教えを広げるために、弱まった太陽の光の力が、その日を境に強くなっていくことを盛大に祝っていた冬至のお祝い「光の祭り」(当時は12月25日だったとのこと)に、世の光として人々を救ってくださるイエスさまの誕生を合わせて祝うようになりました。こうして、この日がクリスマスになったと言われています。ということで、クリスマスはイエスさまの誕生日ではなく、イエスさまのご誕生をお祝いする日にあたります。
そのイエスさまのご降誕を待つ季節、それが「待降節」です。神さまは、わたしたちに、たくさんのお恵みをくださっています。そして、アダムとエヴァのお話に象徴されるように、神さまから離れてしまったわたしたちが、再び神さまの下に近づくことができるよう、神さまの御子イエスさまを贈ってくださいました。わたしたちが今一度、神さまのお恵みやわたしたちに求められていることを確かめ、神さまに近づく心の準備をするのが、この待降節にあたります。
天使幼稚園の子どもたちは、今、クリスマス会に向けて、お遊戯やオペレッタ、そして聖劇の練習を重ねています。多くのカトリックの幼稚園では、このような発表会を「クリスマス会」として、劇などをおうちの方に観ていただくことと同時に、自分が持っている力を神さまにお捧げし、イエスさまやおうちの方に喜んでいただこうという心の教育につなげています。
さらに今年は「自ら伸びる力を育む」という年間目標に沿って、一人ひとりが「させられる練習」をするのではなく、「自分から進んで練習に取り組む」ことができるようにということを意識しながら、指導に取り組んでいるところです。先日、年長さんが「聖劇の練習楽しみ。」と言っていると、近くにいた年少さんも「わたしも楽しみ。」と話しかけてきました。この思いを本番まで大切にしながら、聖劇やオペレッタ、お遊戯の完成を目指していきます。
神さまがわたしたちに、イエスさまや多くのお恵みといった贈り物をくださったように、わたしたちも、周りの方々に自分ができる贈り物を準備する、そのような待降節を過ごし、クリスマスを迎えたいと思います。
(園長 鬼木 昌之)
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<園長だより「風」 11月号> |
成功体験 |
2024年10月24日 |
毎月1回の園庭開放の日、小さなお友だちがよく遊びにきてくれています。砂場やブランコ、ボールやシャボン玉。いろいろな遊びの場を準備しています。その中で、たくさんのお友だちが興味を示すのが「木のおうち」です。木のおうちの端には長いローラーすべり台があります。すべり台は好きだけれど、長くてちょっぴりこわいなと感じるお友だちも多いようです。
そこで、先ずはおうちの方が一緒に滑ってみると……。嬉しそうに笑顔で滑ってくるお友だちや、こわくて顔がこわばっているお友だちも。顔がこわばっていたお友だち、「こわくてもういや。」と言うかと思って見ていると、「もういっかい。」とおうちの方にお話ししています。数回一緒に滑ると、もう一人で滑ることができるようになっていました。笑顔で滑ってきたお友だちも、次は自分一人で滑ることができ、それからは繰り返し繰り返しすべり台を楽しんでいました。
木のおうちには、はんとう棒(のぼり棒・すべり棒)もついていて、天使幼稚園では、上の台から滑り降りるのに使っています。大人の身長より高い場所から降りるので、子どもたちにとっては難易度が高い遊具です。お友だちの様子を見ながら、自分も滑ってみたいと思っていた女の子。なかなか一歩を踏み出すことができないでいると、下で見ていた先生が「だいじょうぶ、先生が支えてあげるから、やってごらん。」「まず、両手で棒をしっかり持って、足を棒にかけて。」先生の励ましに応えながら恐る恐る挑戦し、下まで降りることができました。初めて滑り降りることができたその子の顔には、思わず笑みがあふれていました。「もう一回やってみる。」すぐに再挑戦し、3回目からは「もうだいじょうぶ。」と先生のサポートを受けずに滑ることができるようになっていました。「ねえ、えんちょうせんせい、みてて。」その後、わたしのところに駆けてきて、滑り降りる様子を何度も見せてくれました。
日々育ちゆく子どもたちの前には、多くの課題や困難なことが待ち受けています。でも、未知の事柄には、なかなか一歩を踏み出すことがでません。そんな時、何かきっかけがあってそれを体験し、できた時に子どもたちは大きく成長するものです。
大リーグで活躍したイチローさんが、野球大会で子どもたちに
「頑張るとしたら自分の限界を迎えた時に、自分の中でもう少しだけ頑張ってみる、ということを重ねていってほしいと思います。」
という言葉を贈られました。「もうちょっとがんばれば、できるかもしれない。」そう思った時、勇気を出したり、きっとできると自分に自信を持ったりしてチャレンジすることが大切だということです。そして、それが成功した時、さらにそれが自信となり、自己肯定感、自尊心にも結び付いていきます。
そこで周りの大人に求められるのは、その子の今の状況をしっかり把握し、もう一歩のきっかけを作ってあげることです。今これに興味を持っていそうだな、今ここでためらっているようだな、とその子の思いを汲み取り、手を貸してあげることです。それはその子の力をはるかに超える挑戦を強いたり、まったく興味のないことを押し付けたりする事ではありません。周りの人の最後のひと押しやサポートで何かができた時、それはその子の成功体験となって、さらなる挑戦の土台となっていきます。
みなさんのお子さんが、今、何を乗り越えようとしているのか。日々の生活の中、一人ひとりの思いを見極め、成功体験に結び付くチャレンジを、ぜひさせてあげてください。
(園長 鬼木 昌之) |
<園長だより「風」 10月号> |
備えよ常に |
2024年9月25日 |
昨年に引き続き、今年も秋分の日の直前まで猛烈に暑い日が続きました。運動会の練習は暑さのために屋内で実施したり時間を短縮したりするなど、大きな影響を受けています。福岡県太宰府市では猛暑日が一か月以上続いて国内最長記録を更新し、関東ではスコールのような雨が連日降るなど、過去に経験したことがないような天候が続きました。さらに今年は、8月29日に九州に上陸しほぼ停滞していた台風10号の影響で、8月30日から3日間、東海道新幹線が計画運休を行い、多くの人々の足が奪われました。台風の影響でこれほど長く運休が続いたのは初めてのことでした。
8月8日には宮崎県で震度6弱の地震が起き「南海トラフ地震臨時情報」が出され、巨大地震の発生確率が平時より数倍高まったということで、地震への備えを今一度確認するようにと呼びかけられました。その情報によって、すぐにも地震が来るのではと心配になって、旅行を取りやめた人も多かったようです。またその呼びかけの影響で米の備蓄を急いだことが、その後の「令和の米不足」の一因となったのではとも言われています。
この他にも宮崎の地震翌日の8月9日には、神奈川県西部で起きた地震のため東京でも緊急地震速報のアラームが鳴り、驚かれた方も多かったのではないでしょうか。8月16日には関東に台風7号が近づいて大雨洪水警報が出され、天使幼稚園も預かり保育をお休みすることになりました。
こうして今年の夏を振り返ると、例年には見られない異常気象や天変地異に左右された日々が続いてきたことが分かります。
「備えよ常に(Be prepared)」という言葉があります。これは、ボーイスカウト・ガールスカウトのモットーで「いつなんどき、いかなる場所で、いかなることが起こった場合でも善処ができるように、常々準備を怠ることなかれ」という心構えを表しています。
2011年の東日本大震災後、建物の耐震工事をしたり、屋内の家具等の固定をしたり、食料品の備蓄をしたりと、地震に対する対策の充実が図られてきました。それから13年が経ち、地震への警戒心が薄れてきたときにやってきた宮崎の地震や今年初めの能登半島地震。改めて気を引き締め直すきっかけになりました。
「備えよ常に」というモットーは、地震に限らず、日々の様々な出来事への対応を図ることをわたしたちに教えてくれています。
「ハインリッヒの法則」というのがあります。1件の重大事故には29件の軽微な事故と300件のヒヤリハットが隠されているというもので「ヒヤリハットの法則」とも呼ばれます。日々の生活の中、事故にはならなかったけれど、ヒヤリとしたりハッとしたりすることが数多く起こるもの。その時に安全対策を講じることによって事故を未然に防いだり、何かあった時に迅速に対応できるように準備をしたりしておくことも大切な心掛けです。
みなさんの生活の中でこれはちょっと危ないなと感じたことや、おっと危ないと思ったことはありませんか。そのようなヒヤリハットをなおざりにするのではなく、危機が迫っているかもしれないと気を引き締め、それに備えていく事。異常気象や地震などの自然災害への対応と共に、日ごろのヒヤリハットを自らの行動の見直しにつなげ「いつなんどき、いかなる場所で、いかなることが起こった場合でも善処ができるように」準備をしておくことが、安心・安全な生活につながっていくのではないでしょうか。
(園長 鬼木 昌之)
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<園長だより「風」 9月号> |
オノマトペで遊ぼう |
2024年9月2日 |
① 「がたがたがた」⇒ 「ぐらぐらぐら」⇒ 「どしん」⇒ 「どきどき」⇒ 「えーんえーん」 ⇒ 「ぎゅー」⇒ 「くすんくすん」 ⇒ 「なでなで」⇒ 「すやすや」
②「ぎー」⇒ 「そろそろ」⇒ 「きらきら」⇒ 「にこにこ」 ⇒ 「どんどんどん」 ⇒ 「びりびり」⇒ 「ぴょんぴょん」
ここに並べたのはオノマトペ。「擬態語」や「擬声語」と呼ばれるもので、様子や物音、声などを表しています。オノマトペを並べるだけでも、何となくその場の様子を思い浮かべることができますね。ちなみに①は、突然地震が起き、怖くて泣いてしまった子どもが、おうちの方に抱っこしてもらって安心した様子、②はクリスマスの朝、起きてきた子どもがドアを開けるとサンタさんからのプレゼントがあり、包装紙を破って手に取り大喜びしている様子をイメージしたものです。
世界の言語の中で、英語にはおよそ1,000~1,500、フランス語には600ほどのオノマトペがあると言われています。日本語には4,500ほどがあり、世界の言語の中でオノマトペが多い方だそうです。
オノマトペは漫画の中でも多く用いられています。「Dr.スランプ」に登場するアラレちゃんが走っているシーンでは「キーン」という音が鳴り響き、スピードを感じることができます。漫画の神さまと呼ばれる手塚治虫は、何も音がしない様子を「しーん」というオノマトペで表しました。以来、しーんと表すと静かな情景を想像することができるようになりました。
宮沢賢治の物語にはオノマトペがたくさん用いられています。「風がどうと吹いてきて、 草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。」(注文の多い料理店)「天の川のひとつとこに大きなまっくらな孔が、どほんとあいているのです。その底がどれほど深いか、その奧に何があるか、いくら眼をこすってのぞいてもなんにも見えず、ただ眼がしんしんと痛むのでした。」(銀河鉄道の夜)その情景だけでなく、背景にある不気味さや不思議な感覚がオノマトペによって強調されています。
このように、オノマトペを上手に活用することで、その場の情景や心情を細やかに表現することができるものです。
幼稚園に通う子どもたちは、日々の生活の中で多くのことばを吸収しています。初めは意味が分からないことばも、繰り返し耳にするうちにその意味や使い方を身に着けています。その能力は大きく、親や先生が気付かないうちに多くの言語を獲得し、子どもの口から発せられたことばに、いつの間にそんな言葉を覚えたのと驚くことも多いものです。それだけの力を持っている子どもたちだからこそ、普段の生活の中では豊かな言語体験を持たせてあげたいものです。
子どもたちが好きなことば遊びに「しりとり」があります。年齢が上がるにつれ知っていることばが増えて長く続けることができるようになり、子どもたちも喜んで取り組んでいます。さらに、ことばを活用したり、ことばの裏に込められた思いや情景を思いめぐらす力を養うために、オノマトペを使ったことば遊びも楽しいものです。
「るんるんって、どんな気持ち?」「では、反対に悲しい気持ちはどんなことばがあるかな?」「ぐっしゃーてどんなときに使うかな?」「スイカを食べる時の音をいっぱい考えよう。」「今から言うことばに合わせて動いてごらん『ぎゅーんぎゅーん』『ぷるぷる』」「ねこが怒った時の声を出してみて。」などいろいろな遊び方があるものです。
教育の基本の一つは子どもたちの学びの環境を整えることです。子どもたちの感性を養い、コミュニケーション能力を高めるためにも、オノマトペを意識しながら子どもたちに多くのことばにふれる場を提供していけると良いですね。
(園長 鬼木 昌之)
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<園長だより「風」 夏休み号> |
夏休み |
2024年7月19日 |
文明開化を通して欧米に負けない国にしようと取り組んでいた明治政府は、1872(明治5)年、日本にも学校制度を取り入れました。それから9年後の1881(明治14)、文部省は「夏季休業日」を設けて夏休み制度がスタートしました。日本の学校の夏休みは古くからあるものですね。夏に長い休みを取るのは、当時は教室にクーラーがなく、暑さのため勉強ができなかったから、あるいは欧米のvacances(バカンス:仏語) vacation(バケーション:英語)を参考にした等の説があるようです。
一方、大人にとっての夏休みは、江戸時代から昭和の初めにかけて行われていた、住み込みで働いていた奉公人が、お正月とお盆に実家に帰る「藪入(やぶい)り」の習慣がもとになっているといわれ、現在は8月13日の迎え火(盆入り)から、16日の送り火(盆明け)までを「お盆休み」としているところが多いようです。
欧米では大人も含めて、6月から8月にかけて長い夏休みをとる国がたくさんあります。vacancesには、「空(から)」という意味があり、ゆったりと過ごす「人間が元気に生きていくためには必要な時間」という思いがあり、長い期間避暑地に出かけて、のんびりとしたお休みを満喫している人も多いそうです。
日本の学校では、長い間7月21日から8月31日までが夏休みになっていました。小学校では「夏休みの友」が配られ、毎日1ページずつ進めていくはずが、夏休みの終わりになって大急ぎで残っているページに取り組んだという経験をされた方も多いのではないでしょうか。ところが、文部科学省の指導要領の改定に伴って「脱ゆとり」が図られるようになり、授業時間を確保するために、夏休みの期間を短縮する学校も増えてきました。また、夏休みの宿題も、画一的なものから、個別の課題になったり、宿題自体を無くしたりする学校もみられるようになってきました。
まとまったお休みを取ることができる夏休み期間は、故郷に帰省したり、海外を含めて旅行に出かけたりと、日々の生活から離れることができる貴重な時間です。ただ、ほとんどの人がこの短い期間にお休みを取るために、列車などは込み合い、道路は渋滞するなど、vacances「空」とは程遠いお休みとなっていますね。
モンテッソーリ教育を取り入れている天使幼稚園。その基本は「子どもには自己教育力」があるという考え方です。そのために、それぞれのお部屋には「日常」「感覚」「言語」「数」「文化」という多様な教具をそろえ、子どもたち一人ひとりが自分の思いを活かし、おしごとを選ぶ環境を整えています。でも、モンテッソーリのおしごとは、これらの教具を使うことに留まりません。子どもたちは自分がしたいことを見つけると、大人が導かなくても集中して取り組み、できるまで繰り返しチャレンジするという特性を持っています。天使幼稚園では、子どもたちの多様な興味関心を引き出すことができるよう、モンテッソーリの教具を使う場だけでなく、思い切り体を動かして遊ぶ時間も大切にしたり、最近では絵の具遊びや泥んこ遊びの場、そして音楽教室を設けたりして、子どもたちの持つ多様な可能性を伸ばす環境を整えるようにしています。
日ごろとは異なる環境で過ごすことができる夏休み。子どもたちは、いつもはできないことを体験する絶好のチャンスです。それぞれのご家庭でも、子どもたちが挑戦できる多くの環境を整えることによって、今までは気付かなかった新しい可能性を見つけ出すきっかけにすることができるもの。多くの才能を秘めた子どもたちだからこそ、一人ひとりの奥に眠っている、生涯取り組む事ができるものを見つけ出す場がとても大切です。それは生き物や自然とのふれ合いだったり、音楽であったり、ダンスやスポーツであったり、本との出会いであったり……。こうして夏休みに出会った経験が、大谷翔平選手や、藤井聡太名人のようなすばらしい活躍をする人になるきっかけになるかもしれません。
のんびりと過ごす中、多くの経験をすることができる場を準備し、楽しい夏休みをお過ごしください。
(園長 鬼木 昌之) |
<園長だより「風」 7月号> |
花もいろいろ
~関心を持って調べる力~ |
2024年6月24日 |
今年も梅雨の季節がやってきました。梅雨といえばアジサイ(紫陽花)。あちらこちらで、紫やピンク色の花が咲き誇っています。こんもりと咲いたアジサイの花。でも、花のように見える部分は、実は花ではなく、「装飾花」といって「額」が変化したものです。その装飾花をかき分けてみると、ひっそりと咲いている「真花」を見つけることができます。そこには小さなおしべやめしべ花びらがついています。このアジサイの名前は、「藍色が集まったもの」を意味する「あづさい(集真藍)」から来たとする説が有力とのこと。「紫陽花」の文字は、中国で紫色の花を咲かせる花を「紫陽花」と呼んでいたことから、日本に咲く紫色のこの花を「紫陽花」と名付けたとされています。
この時期にはアジサイだけではなく、ユリ(百合)やカンナの花もあちらこちらで見ることができます。
ユリは6枚の花びらがあるように見えますが、外側の3枚はがく片で「外花被(がいかひ)」と呼び、内側の3枚が「内花被(ないかひ)」と呼ぶ花びらです。ユリという名前は、茎が長く風が吹くとゆらゆらと揺れる様子から名づけられ、「百合」という漢字は球根の鱗片がたくさん重なっているところからきているとのこと。
カンナの花を観察すると不思議な形をしています。花びらのように見えるのは、雄しべが変形したもので、その中の一番内側の1本だけが花粉をつけるそうです。カンナという名前は茎が筒状になっていることから、古代ケルト語の杖を意味する「Cana」から、あるいは同じように筒状の茎を持つ葦を意味するラテン語の「Canna」からきているという説などがあるそうです。
「花の絵を描いて」と言われたとき、みなさんだったらどんな花を描くでしょうか。一般的にはキクの花のように中心におしべとめしべがあり、たくさんの花びらがその周りを囲んでいる花や、チューリップのような地面から茎を出しその脇から葉が伸び、一番上に花が咲いているものを描くことが多いのではないでしょうか。でもひとことで花といっても、このように多くの形状の花があふれています。ただ、この2つの花以外の絵を描くのは難しそうですね……。
昨年、NHKの連続テレビ小説「らんまん」で取り上げられた牧野富太郎博士は、1928(昭和3)年、雑誌の取材で、記者が「雑草」という言葉を口にした時、「きみ、世の中に〝雑草〟という草は無い。どんな草にだって、ちゃんと名前がついている。わたしは雑木林(ぞうきばやし)という言葉がキライだ。松、杉、楢(なら)、楓(かえで)、櫟(くぬぎ)——みんなそれぞれ固有名詞が付いている。」と話されたそうです。また、1965(昭和40)年頃、生物分類学をテーマとして研究していた昭和天皇は、庭の手入れをした職員が「雑草が茂ってまいりましたので、お刈りいたしました。」と報告をした時、「雑草ということはない。どんな植物でも、みな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる」と注意なさったというエピソードも残っています。
日々何気なく眺めている草花ですが、このように様々な形状を持ち、さらに一つひとつ名前を持っているのです。何も知らずに興味や関心を持たずに過ごすのではなく、身近な草花を注意深く観察し、「何だろう?」「なぜ?」「どうして?」という疑問を持ち、その問題を解決しようとする姿勢。それが、これから育ちゆく子どもたちにとって欠かせない、学びの原動力となるものです。
登降園時、あるいは日々の生活の中で、草花や樹木を細やかに眺め、その特徴を他の草花と比べてみたり、名前を調べたりできると良いですね。さらに草木だけではなく、生き物や町の様子などに関心を広げていくことを通して、「自ら伸びる力」を育んでいくことができればと願っています。
(園長 鬼木 昌之)
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<園長だより「風」 6月号> |
匂いの記憶・匂いの力 |
2024年5月24日 |
先々週は母の日の集い、先週は親子遠足、そして今週は保育参観に足をお運びくださり、ありがとうございました。お家の方と一緒に過ごす子どもたちの嬉しそうな笑顔。コロナが5類に移行されてから2回目の春。こうしたふれあいの時間を普通に持つことができることの恵みを、改めて感じているところです。
♪ おか~さん な~に おかあさんって いいにおい
せんたくしていた においでしょう しゃぼんのあわの においでしょう♪
(作詞:田中ナナ / 作曲:中田喜直)
母の日の集いで子どもたちがプレゼントした「おかあさん」の歌。1954(昭和29)年に発表され、今でも歌い継がれているこの曲の作詞者田中ナナさんが、この詩を作るきっかけを次のように語っておられます。
田中さんの妹さんが、ご主人の仕事の関係で、幼い娘ルビーちゃんをおばあちゃんに預けてフランスに渡りました。1年後に帰国したお母さんに会ったルビーちゃん。でも、お母さんの顔を忘れていて、おばあちゃんにしがみついてしまいました。その時、おばあちゃんが優しく「ほらママよー。いいにおいがするでしょう。」と声をかけると、ほのかなママの香りをかいだルビーちゃんが「ママ!」と笑顔になってママに飛びついたそうです。「においが結ぶ親子の絆。そのすごさを、歌で伝えたかったんです」と。<朝日新聞2010(平成22)年1月1日号より>
生き物にとって、匂いは生死がかかった大切な情報です。花は香りを漂わせ、昆虫たちを引きつけて花粉を運んでもらいます。世界で一番大きい花として知られ、神代植物公園にもあるショクダイオオコンニャクは、腐った肉のような強烈な悪臭を出して虫を呼んでいます。芳香であれ悪臭であれ、それぞれの植物に必要な虫を、その匂いで誘っています。動物も、くだものやエサになる生き物の匂いを嗅ぎつけて、食べ物を得たり獲物を探したり、反対に敵から逃れることができたりしています。私たち人間も、今は食品の安全性が厳格に管理され、賞味期限や消費期限が定められていますが、かつては食べ物の匂いを嗅いで、腐った臭い、酸っぱい臭いがするものは食べられないけれど、そうでなければ食べられると判断していました。
最近では匂いによる癒しの効果が、大きく認識されるようになりました。私たちは日ごろ視覚や聴覚から得られる情報を、大脳新皮質を使って考えたり判断したりしています。しかし、嗅覚の情報は、感情や直感に関わる大脳辺縁系にダイレクトに届きます。さらにその情報は脳の視床下部に伝わり、人間の生理的な活動をコントロールする自律神経系・ホルモン系・免疫系に影響を与えます。その効果に目を付けたのが、エッシェンシャルオイル(精油)を活用したアロマセラピー(英)<アロマテラピー(仏)>で、リラクゼーションを与えたり、病気の治療や症状の緩和に利用されたりしています。
目で見ることができる視覚情報は、写真やビデオで記録し、繰り返し見ることができ、耳で聞く聴覚情報も、同じビデオや録音機器によって残すことが可能です。でも、嗅覚情報である匂いや香り、触った時に感じる触覚情報、そして舌で味わう味覚情報は、現在のところ、記録しいつでも確かめることはできないものです。
再現が難しい嗅覚情報だけに、意識していないとつい忘れがちになってしまいます。さらに、人は同じ匂いを嗅ぎ続けると、だんだん慣れて、匂いを感じにくくなるという傾向があります。でも、わたしたちの身の回りにはたくさんの匂いがあふれています。花の香り、雨が降り始めた時の独特の香り、登降園時に通る街の匂い、お料理しているときのお家の匂い、さらには毎日通っている幼稚園の匂い、等々。時々嗅覚を研ぎ澄まし、身の回りの匂いを感じてみませんか。何か懐かしさを感じたり、感情が動かされたりする体験ができるのではないでしょうか。
(園長 鬼木 昌之)
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<園長だより「風」 5月号> |
共に歩む |
2024年4月24日 |
53人(年少51人・年中1人・年長1人)の新しい園児を迎えて2024年度がスタートしました。朝、お家の方から離れる時に「ママがいい~」と淋しくなってしまっていた年少さんも、お弁当を食べるころには、ニコニコ笑顔が見られるようになっています。昨年度仲が良かった友だちと別々のクラスになって、ちょっぴり残念そうにしていた年中さんや年長さんも、新しいクラスの中で、親しい友だちができ始めています。社会の中でも天使幼稚園でも、新しい出会いが生まれている新年度です。
♪ いちねんせいに なったら いちねんせいに なったら ともだちひゃくにん できるかな ♪(「いちねんせいになったら」作詞:まどみちお / 作曲:山本直純)
小学校に入学する子どもたちの思いを歌ったこの曲にも表れているように、新しい環境に飛び込む時に心配なことの一つが、どんな人がいるのかな? 新しい人たちと馴染むことができるかな? 出会った人たちと仲良くできるかな? という、人との出会いに関することです。家族という親しい人だけの中で育ってきた、幼稚園に入った子どもたちにとって、見ず知らずの大勢の人との出会いは、大人が感じるよりも、もっと大きな壁になるものです。でも、その壁を乗り越えて、時にはぶつかったり、時には助けられたり助けたりしながら、友だちとのより良い関係を築いていくことが、人としての成長につながっていきます。
その出会いや交わりの中で、子どもたちの心の中に大切に育てていきたいのが「共に歩む」という思いです。周りの人から多くの手助けをしてもらいながら成長してきた子どもたちは、幼稚園という社会に飛び込み、してもらうだけではなく、自分も人のために何かをしてあげることができるという体験を重ねていきます。
♪ 喜びが 大きくったって 自分だけなら 喜びはただひとつ 増やせはしない
喜びは みんな一緒に 味わうものさ 喜びを分け合って 大きくしよう
なんにもなくても 嬉しいこころ みんなで生きてる 楽しいこころ
苦しみが 大きくったって 心配せずに 苦しみはみんなで 乗り越えようよ
苦しみに 友よその手を貸してあげよう 苦しみを分け合って 小さくしよう
なんにもなくても 嬉しいこころ みんなで生きてる 楽しいこころ ♪
(「嬉しいこころ楽しいこころ」末吉良次 / フランシスコ会のブラザー)
自分の思いを強く主張する「イヤイヤ期」を乗り越えてきた子どもたち。いつでも自分の思い通りにすることはできないということを学んだり、自分を援けてくれる人がいることに気付いたり、周りの人のために何かしてあげることに喜びを感じたりしながら、新しい人間関係を築いています。
ただ、日々の生活の中、子どもたちは何となくそのことを感じてはいても、理解するところまで昇華できずにいるものです。このような体験があった時に、「嬉しいことをみんなで一緒にお祝いすると、もっと嬉しくなるね。」と喜びの共有に気付かせることや、悲しい思いをしている人や困った人を助けた時、相手の重荷が軽くなったことを伝えることを通して、子どもたちに「共に歩む」ことの意味を教えることができるもの。その役目を担っているのが、保護者の皆さんや幼稚園の先生、そして周りにいる大人たちです。
身近な幼稚園の友だちとのふれ合いの中で、「共に歩む」ことの大切さや喜びを学んだ子どもたちが、やがて地域に目を向け、地域の方々と「共に歩む」ことを始め、その視線を国内、そして世界へと向けていき、世界中のだれとでも「共に歩む」世界を築いていってほしいと願っています。
見よ、兄弟が共に座っている なんという恵み、なんという喜び。(詩編133-1)
(園長 鬼木 昌之) |
<園長だより「風」 4月号> |
自ら伸びる力を育む |
2024年4月8日 |
コロナによる制約がなくなって初めて迎える新年度のスタート。テレビのニュースでは、新入社員が一堂に会した入社式や、大勢が集まって会食をするお花見の様子が伝えられていました。天使幼稚園でも、年間行事や諸活動の計画をコロナの心配をせずに立てることができるようになりました。ただ、コロナ対策が必要な期間中、今まで通りにできないことが増えたことは不自由であったものの、それぞれの行事や活動のねらいを振り返り、何のためにしているのか、そのねらいを達成するためにはどうするかを考える良いきっかけともなりました。
コロナの感染者が多かった一昨年度は、子どもの内面に目を向け「発見する喜び・成長する喜び」という目標を掲げ、5類に移行されることが決まった昨年度は、それまで十分にできなかった子どもたちの交わりを深めるために「援け合い・学び合い」という目標を立てて園生活に取り組んできました。新年度を迎えるにあたり、その成果を確認するため、職員でこれまでのあゆみの振り返ってみました。
クラスで一緒に野菜や花を育て、水やりをしたりその成長を見守ったりする中、自然に目を向ける子どもたちが増えてきました。その子どもたちの興味関心をさらに高めることができるよう、園内の樹木や花に名前を記すことにも取り組んでいます。野菜が苦手な子どもが自分で育てたミニトマトをかじってみる姿も見られました。カマキリを飼ったクラスでは、カマキリが生きていくために、小さな生きている虫が食べられて死んでしまい、カマキリの体の一部になることを通して、食の意味や生命の尊さなどを学んでいました。また、砂遊びのルールを見直し、砂を運び出したり水を使ったりすることができるようにした結果、泥だんごを作って遊んだり、砂や草花を使ってお店屋さんごっこをしたりと、遊びの範囲が広がり、さらに水道から水を運ぶ人、砂を掘る人など、役割を分担しながら援け合う姿も多く見られるようになりました。
年長さんを中心に、話し合いの場も多く設けました。5月のこいのぼりの共同制作の頃は、まだまだ先生のリードが必要だったものの、3学期のお店屋さんごっこの商品作りの話し合いでは、一緒に作る年少さんのことを考え「これならできる」「これは難しい?」と小さい人への配慮もできるようになっていきました。初めのころ自分の意見を押し通しがちだった子が、周りの意見を聞いてまとめ役ができるようになるといった成長もみられました。
さらに音楽教室や絵の具遊び、ハロウィンパーティーを取り入れたり、モンテッソーリのおしごとの提供を増やしたりと、子どもたちが多様な活動の中で、それぞれの持っている力を伸ばすことができるようにしてきました。
こうして子どもたちの主体性を育んできた2年間のあゆみをベースに、今年は「自ら伸びる力を育む」ことを目標に掲げました。
モンテッソーリ教育の基本は「子どもには自己教育力がある」という考え方です。子どもたちは、周りの環境に刺激を受け、いろいろなことができるようになっていきます。言葉にしても日々生活をする中で「どこでその言葉を覚えたの?」と周りの大人がびっくりするということもよく体験するものです。ただ、子どもが自由気ままに過ごしていても、自ら伸びることにつながるということではありません。そのために必要なことが、周りの環境を整えることです。子どもたちが、変化が激しい未来を生きるために必要な力は何か、そしてその力を養うためにどのような環境で過ごすことが好ましいのか、それを見極め準備するのが周りにいる大人に与えられた課題なのです。
この1年間、子どもたちに必要な力を伸ばすための環境作りを工夫して行事や活動に取り組み、一人ひとりの伸びる力を養っていきたいと思います。そのためには、保護者の皆様方のご協力も欠かすことができません。保護者の皆様と幼稚園とが一緒になって子どもたちの成長を育むことができるよう、今年度もどうぞよろしくお願いしたします。
(園長 鬼木 昌之)
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