学校法人 聖フランシスコ学園 天使幼稚園
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<卒園文集>
笑顔
2022年3月18日
 みなさんがおとなになって幼稚園時代を振り返ると「コロナの時代」だったなあという思い出が浮かんでくることでしょう。

 年少の終わりの突然の臨時休園から始まり、卒園するまでの間「コロナ対策」でマスクをつけ、お話をしないでお弁当を食べ、いろいろな行事も中止したり、形を変えて実施したりという日々が続いてきました。「わく・ドキ・サマーDay」で撮ったみんなの集合写真は、貴重なマスクを外した写真になりました。玄関ホールに飾ってあるこの写真を見た年長のお友だちが「へえ、先生ってこんな顔をしていたんだ。」とつぶやいていました。マスクを外した顔を見るチャンスがほとんどない毎日でしたね。

 このような幼稚園時代だったけれど、みなさんはたくさんの友だちと共に過ごし、立派な年長さんになり卒園の日を迎えました。

 ありがとうって いったら みんなが わらってる 
 そのかおが うれしくて なんども ありがとう
 まちじゅうに さいている ありがとうの花
 かぜにふかれ あしたに とんでいく
   ありがとうの花が さくよ きみのまちにも ホラいつか
   ありがとうの花が さくよ みんなが わらってるよ

うたのおにいさん(NHKおかあさんといっしょ1985年~1993年)の坂田おさむさん作詞、作曲の「ありがとうの花」です。みなさんのお父さんやお母さんが、子どものころよく聞いていた歌ではないでしょうか。

 みなさんも幼稚園の生活の中でたくさん「ありがとう」と言ってきましたね。この歌のように心をこめて「ありがとう」と言うと、相手の人もにっこり笑顔に!とっても素敵な言葉です。

 僕も君も ときには 暗闇に落ちて とまどうから
 いつも すてきな友だちと ほほえみかわすのさ
  愛と仲間 それさえあれば つらくはない
  愛と仲間 それさえあれば つらくはない

梶賀千鶴子さん作詞、鈴木邦彦さん作曲の「すてきなともだち」の2番です。「♪人はみんな誰でも 一人では 生きていけないから♪」から始まる1番を聞くと思い出す人も多いのではないでしょうか。

 幼稚園で過ごしてきた日々。いつもいつも笑顔で過ごせる日ばかりではなく、つらい日や悲しい日もあったことでしょう。そんな時、すてきな友だちや先生、お家の方が、ほほえみながら話しかけてくれたおかげで、力づけられたという体験をした人もいるのではないかと思います。微笑み(ほほえみ)にも、人に喜びを与える不思議な力が込められています。

 みなさんの成長の土台を育む幼稚園時代。一人ひとりが自分の力を伸ばすだけでなく、お友だちとふれあいながら、お互いに助け合って成長していくことの大切さや嬉しさを学ぶ時でもありました。

 4月から小学校へ進むみなさんは、大勢の新しい仲間と出会います。そこで大切なことは、新しい仲間と過ごす中「自分さえ良ければ」ではなく、周りのみんなと「共に成長していこう」という思いです。

 その時、相手が笑顔でいることができるようにしよう、相手を微笑みをとおしてなぐさめ力づけてあげようという「相手を大切にし、思いやる心」を忘れないでください。それが、みなさんが天使幼稚園で学んだ大切な力なのですから。

 未来に生きるみなさんが、キラキラ光る笑顔を通して、たくさんの人たちを幸せにしていくことができますように。

                (園長 鬼木 昌之)
<2021年度>春休み号
ひかりの子
2022年3月17日
 わたしが通った幼稚園はプロテスタントの園でした。その卒園記念品として、子どもたち一人ひとり、幅30㎝ほどの木製の本棚をいただきました。その本棚の側面には「ひかりの子らしくあゆみなさい」という金色の文字が記されていました。今から63年も前のことだけれど、その本棚のことは今でも鮮明に覚えています。

 「ひかりの子」という言葉は、キリスト教の学校や幼稚園でよく用いられています。

 ♪喜ばれる 人になろう イエスさまのような人に
  愛を運ぶ 人になろう イエスさまのような人に
  ひかりの子は いつも明るく ひかりの子は いつもステキ
   ひかりの子は いつも祈り ひかりの子は イエスさまの子
    がまんづよい 人になろう イエスさまのような人に
    心優しい 人になろう イエスさまのような人に
    ひかりの子は いつも明るく ひかりの子は いつもステキ
    ひかりの子は いつも祈り ひかりの子は イエスさまの子
   (作詞:作曲 不詳)

これは、天使幼稚園でもよく歌う「ひかりの子」という聖歌です。イエスさまのように「喜ばれ、愛を運び、がまん強く、心優しい」ひかりの子は「いつも明るく、いつも祈り、いつもステキ」な「イエスさまの子」と歌っています。

 聖書にも「ひかりの子」につながるお話があります。

 「あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。また、ともし火をともして、枡(ます)の下におく者はいない。燭台(しょくだい)の上に置く。そうすれば、家の中のすべてを照らすのである。」(マタイによる福音書5章14~15)

 真っ暗な夜、光は周りを照らし、人々の目印になったり、見えなかったものを見えるようにしたりすることができるものです。そしてここには「世の光になりなさい」ではなく、「世の光である」と記されています。

 「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネによる福音書13章34)と新しい掟を与えてくださったイエスさまは、その教えを大切にする人は、すでに「世の光」であり、人々の役に立つ存在なのですよと、教えてくださっているのです。

 縁あって天使幼稚園に入園し、ここで学び育ってきた子どもたち、そして保護者のみなさんは、すでに神さまから選ばれた「ひかりの子」なのです。

 天使幼稚園の卒園生や保護者の方から「天使幼稚園の卒園生は、優しい人、思いやりがある人が多いですねと、よく言われます。」というお話を何度もうかがったことがあります。創立者のガブリエル神父様、そして、その精神を受け継いだシスター方や教職員が育んできた天使幼稚園で育ってきた子どもたちは、その学びの中で「ひかりの子」の礎(いしずえ)がしっかりと身に着いているのです。

 年度の終わりにあたり、今一度、周りを照らす「ひかりの子」になっている子どもたちの姿を振り返り、新しい年度に向けてこれからも「ひかりの子らしくあゆみなさい」という教えを大切にしていこうという思いを深めていただければと願っています。 
                (園長 鬼木 昌之)
<2021年度>3月号
主体性を育てる
2022年2月22日
 いよいよ1年間の締めくくりの3月を迎えます。子どもたちは「4月になると、ひとつお兄さん、お姉さんになる!」という自覚と期待感を高めつつ、今まで学んできたことの仕上げをしていきます。

 モンテッソーリ教育を取り入れている天使幼稚園で、大切にしていることのひとつが「主体性を育てる」ことです。朝登園してきた子どもたちは、先生からの指示を待つことなく、保育室に準備されたモンテッソーリの教具の中から、自分がしたいものを選び、活動を始めます。年少さんの頃は指先を使ったり、比較的大きなピースを組み立てるパズルだったりしていたものが、だんだん数の理解を深めるものや感覚を養うものなどへと発展していきます。子どもたちは理論化されたモンテッソーリ教育の枠組みの中で、自ら選んで取り組み、できる喜びを感じながら成長していきます。

 その理念や、取り組み方に関しては、モンテッソーリの教師を育てる日本モンテッソーリ教育綜合研究所のホームページでも紹介されています。

「子どもには、自分を育てる力が備わっている」という「自己教育力」の存在がモンテッーリ教育の前提となっています。子どもは皆、自己教育力を備えています。しかし、自分で取り組めるような「整備された環境」や、その環境に関わるための方法を知らなければ、その力を存分に発揮させることはできません。

 主体性を育てるためには、子どもがしたいことを何でもいいから自由に選ぶということではなく、どのような力を養いたいかという目的をしっかりと持ち、そのためにはどのような学びの場を準備すれば良いかという、周りの大人の的確な準備がとても重要な位置を占めています。

 2020年度から実施されている学習指導要領には、国際化が進み、変化の速度が今までになく速くなるこれからの社会を生きる子どもたちのために「生きる力」を育てることが必要だと示されています。そこでは「自ら課題を見つけ」「自ら学び」「自ら考え」「判断して行動する」といった主体性を大切にという内容が盛り込まれています。

 ところがそこには大きな落とし穴が隠れています。それは、子どもがしたいことを何でも自由にさせることが「自主性・主体性」だという思いです。「個性の尊重」「オンリーワン」など、個を大切にという観点から、本人が望むことだったら何でもさせて良いという傾向も見られます。するともう一つの観点「他者とのつながりの中で社会性を養う」という、人として大切な面が抜け落ちてしまします。

 そのことをノートルダム清心学園の元理事長シスター渡辺和子さんは次のように著しています。

 今、子どもたちの主体性を重んじる教育ということがよくいわれていますが、現実には、「したい性」が伸び放題になってはいないでしょうか。子どもたちが真に自由になるためには、したいことを我慢し、または自分に「待った」をかけて、しなければならないことを先にする“もう一人の自分”を育ててゆくことが大切なのです。(目に見えないけれど大切なもの 渡辺和子 著 より)

 新しい社会に飛び込んでいく子どもたちにとって、困難な時に、それを乗り越える力もまた大切になってきます。それは、好きなことをいつでも自由にできることとは正反対のことでもあります。「したい性」だけを培ってきた人は、そこでつまずいてしまうけれど、本当の「主体性」、困難な時でも自分からそれを乗り越えていくぞという強い心や、解決策を見出す力を養っていた人は、おのずと自分を高め、自分だけではなく、周りの人も共に幸せになる道を切り拓いていくことができるものです。

 幼稚園でもこの1ヶ月、子どもたちの「主体性」を育む時間を大切にしていきたいと思います。ご家庭でも、子どもたちの本当の「主体性」を育む生活ができているかどうか、今一度振り返っていただければと思います。      
                           (園長 鬼木 昌之)
<2021年度>2月号
ことだま(言霊)
2022年1月25日
 「行って来ます。」「行ってらっしゃい。」 「ただいま。」「お帰りなさい。」
ほぼ毎日のように交し合う挨拶(あいさつ)の言葉です。この中の「行って来ます。」を見て、おや?と思うことはありませんか。ひとつの挨拶の中に「行く」と「来る」とが同居しています。

 その語源を紐解(ひもと)いてみると、出かけるにあたり「今から行きます。そして必ず帰って来ます。」という思いが込められ「行って来ます。」になったとのこと。また「行ってらっしゃい」も「行って」と「入る」がもとになった「いらっしゃい」とが重なり「行って無事に帰ってきてください。」という願いがこもった言葉になっています。そして、無事に帰ることができたことに感謝しながら「只今(帰りました)。」「(よくご無事で)お帰りなさい(ました)。」という挨拶を交わし合うようになりました。

 今のように科学技術が発達していなかった時代、自ら発する言葉には「言霊」という不思議な霊力が宿っていると信じられていました。そして、このような挨拶を交わすことを通して、その霊力に依り頼み、日々安寧(あんねい)に暮らすことを願っていました。

 言霊とまではいかなくても、現代に生きる私たちが日々発する言葉も大きな力を持っています。

 インターネットで「名言」「格言」と検索すると、多くの偉人が語った言葉を載せたサイトが出てきます。「努力・練習・勝負に関する名言」「前向きになれる!世界の偉人が残した『魔法の名言』」「たった一言で人を笑顔にする、声に出して読みたい[世界の名言集]」………。多くの言葉が、わたしたちの暮らしに励ましや示唆(しさ)を与えてくれます。また、あの時の一言によって励まされ助けられましたというエピソードも数多く語られています。みなさんの中にも、そんな体験をお持ちの方がいらっしゃるのではないでしょうか。

 その一方、「言葉の暴力」によって傷つくケースも多く見られます。学校などで起きるいじめの問題でも、体に対する暴力と共に言葉による暴力も問題にされています。

 多くの人々との交わりの中で進歩してきた人類にとって、自分の思いや意志を伝える言葉は、とても重要な位置を占めてきました。さりげないひとことで勇気づけられたり、落ち込んでしまったり……。やはり言葉には「言霊」が宿っているのではないかと感じさせられるものです。

 ヨハネ福音書の第1章は「言(ことば)」から書き出しています。

   1初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
   2この言は、初めに神と共にあった。
   3万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
   4言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。

「言は神であった」と、言葉は神さまそのものであると述べられています。その神さまはご自分に模(かたど)って人を造られました。こうして神さまの似姿(にすがた)として造られたわたしたちの発する言葉にもまた、神さまの言葉と同様に人を援ける力があるものです。

    お互いに助け合わないと生きていけないところに、人間最大の弱みがあり、
   その弱みゆえにお互いに助け合うところに、人間最大の強みがあるのである。
                       (下村 湖人)

 言葉には霊が宿っている。先人たちが感じて来た言葉の重みを意識し、自ら発する一言ひとことを大切にしながら、多くの人と交わっていくことが、わたしたちに求められています。
                        (園長 鬼木 昌之)
<2021年度>1月号
挨 拶
2022年1月11日
あけましておめでとうございます

 新年を迎え、あちらこちらから「あけましておめでとうございます」と、挨拶(あいさつ)を交わし合う声が聞こえてきます。新年の挨拶にも用いられる「おめでとう」という言葉は、「賞賛する」という意味の「愛づ(めづ)⇒愛でる」に、程度の甚だしいさまを示す「甚し(いたし)」をつけた「めでいたし⇒めでたし」がもとになっています。新しい年の始まりに、この1年間を心を込めて愛で祝う心が「あけましておめでとうございます」に込められています。

 お正月だけではなく、折りふれて人と人とが交わし合う「挨拶」。この言葉は、禅宗の、問答をしながら相手の悟りの深さを測る「一挨一拶(いちあい・いっさつ)」からきているそうです。このような師匠と弟子との関わりが、人と人とが心をふれ合わせる「挨拶」の語源になりました。「挨」という文字は「挨(お)す」あるいは「挨(ひら)く」と読み、もう一つの「拶」は「拶(せま)る」と読んで、二つをつなぐと「おしひらいて、迫っていく」という意味を持っています。この言葉からも、挨拶には、相手の心に迫って押し広げ、お互いの心の距離を縮める大切な役目を担っていることが分かります。

 学校などで「オアシス運動」に取り組んでいるところがあります。「<お>おはようございます」「<あ>ありがとうございます」「<し>失礼しました」「<す>済みませんでした」の頭文字をつなぎ、これらの言葉を含めて、積極的に挨拶をすることを通して、砂漠のオアシスのように、みんなの生活や心に潤いを与えようという活動です。

 これらの挨拶の言葉にも、それぞれ深い意味が込められています。

 「おはようございます」は歌舞伎の世界からきていて、楽屋で準備をする役者さんなどに、「お早いお着きですね。お早くからご準備お疲れ様です。」というねぎらいの言葉だったという説が見られます。ただの「朝早いですね。」という単純なものではないようです。お昼ごろになると「こんにちは」に代わります。これは、「今日は、ご機嫌いかがですか。」「今日は、お元気ですか。」といった挨拶の、後半が略されたものです。小学校の低学年の学習で「こんにちわ」と書くと「こんにちは」と書きましょうと指導されるのは、このためです。

 「ありがとうございます」は、めったにないという意味の「有難い」からきています。普通ではありえない程の恩に、感謝の思いを込めた言葉です。「失礼しました」は「あなた様に接する際の心得をわきまえず、礼を失して申し訳ありません。」から、「すみません」は「この程度の謝罪では、気持ちが済みませんが、どうぞご容赦ください。」がもとになっています。

 謝罪の言葉「ごめんなさい」は、相手が正式な許可や認可を下す「御免」からきています。「なさい」は「してください」という意味で、自分の非を認め、許し(御免)を願う言葉になります。他にも「さようなら」は、「左様ならば(それでは)これにてお別れです。」という言葉の初めの部分にあたります。

 普段さりげなく使っている挨拶の言葉も、由来をたどってみると、その中に込められた心のあり様が明確になり、挨拶に深みが出てくるものです。

 ところで、朝のお迎えの時や、帰りのお見送りの時、なかなか挨拶ができないお友だちもいます。お家の方が「園長先生にご挨拶は?」と言っても、なかなか声が出てきません。挨拶というのは、心を通わせる手段ということを踏まえると、挨拶をするということは、自分の心の中を無防備に相手にさらすことにもつながります。おとなになると、その場に応じた対応ができるようになりますが、相手とのつながりも真剣にとらえる子どもとしては、本能的に自己を防衛するため、あえて挨拶をしていないのかもしれませんね。今は無理でも、やがて心を開いて挨拶をしてくれる日が来るのを楽しみに待っていますよ。
                      (園長 鬼木 昌之)
<2021年度>冬休み号
活躍する人の裏でも
2021年12月17日
 園長だより12月号で紹介した大谷翔平選手と藤井聡太四冠の活躍の裏で、惜しくもMVP(Most Valuable Player:最優秀選手)を獲りそこなった選手や、タイトルを失った棋士がいました。

 トロント・ブルージェイズに所属するマークブラディミール・ゲレーロJr.選手は、今シーズンリーグ三位の打率.311、リーグトップタイの48本塁打、111打点を獲得。もう少しで三冠王という大活躍を見せたものの、MVPを獲得することはできませんでした。大谷選手の活躍が今年でなければ確実にMVPを獲ることができたといわれています。

 豊島将之九段はそれまで持っていた「竜王」と「叡王」のタイトルを藤井四冠に奪われ、八大タイトルでは無冠になりました。しかし、豊島九段はこれまで藤井四段と互角の対戦成績を収め、竜王戦でタイトルを失った8日後に行われた「将棋日本シリーズJTプロ公式戦決勝戦」では、積極的な攻めで藤井四冠を破り二連覇を成し遂げました。そのJT決勝戦の前、豊島九段は「無倦(むけん)」と揮毫したそうです。そこには「あきらめたり、いやになったりすることはない」という思いが込められています。

 MVPを獲ることができなかったゲレーロ選手も、無冠になった豊島九段もその活躍は大谷選手や藤井四冠と同様にすばらしいものでした。きっとこれからも、互いに切磋琢磨(せっさたくま)しながら、名勝負を繰り広げくれるのではないでしょうか。

 どんな世界でも、大活躍し目立った人の裏に、その人に負けない努力をし、力を発揮している人がいるもの。でも、それはついつい見落とされがちになるものです。

 スポーツ界では「一位でなければ二位も最下位も一緒」といわれることがあります。また、かつて政府の事業仕分けの場で、スーパーコンピュータの開発について「世界一になる理由は何があるんでしょうか? 二位じゃだめなんでしょうか?」という発言が話題になったこともありました。何かに取り組む時「一位を目指す」決意は、とても大切なことで、それに向けて知恵を出し、努力を重ねることが、自らを高める原動力になっていきます。しかし、その努力する姿と結果は別のもの。ゲレーロ選手や豊島九段のように、結果は惜しくても、高みを目指すその姿は尊敬に値するものです。

 天使幼稚園では、毎年聖劇の役を話し合いながら決めています。その中で譲ってあげたり、くじ引きで外れたりして、自分がなりたい役に就けないお友だちが大勢います。決まった後は残念で落ち込むこともあるけれど、どの役も聖劇には欠かせない大切な役割を持っています。そして一人ひとりが自分の役をしっかりと演じることで、イエスさまにおささげする聖劇が完成するのです。子どもたちも練習を重ねる中、自分の役割をしっかり演じてくれるようになっていきます。そしてこれが、自分が望む役ではなくても、目立つ役ではなくても、一番ではなくても、努力し自分の力を発揮することの大切さを学ぶ場ともなっています。

 どんな社会も、多くの人が自分の持っている力を活かしながら、互いに支え合っているからこそ成り立っています。勝負の世界では、敗者がいなければ勝者はいません。目立つ活躍をした人に賞賛を贈るのと同じように、その裏で努力し力を発揮している人への尊敬や感謝の思いを持ち、「よくがんばっているね。」と、その思いを伝えることができること。それが常にわたしたちに求められています。
                      (園長 鬼木 昌之)
<2021年度>12月号
自由な発想と信念
2021年11月25日

 この11月、世界で、そして日本で活躍する2人の若者の明るいニュースに湧(わ)きました。

 11月18日、アメリカ大リーグで活躍している大谷翔平選手(27)が、全米野球記者協会の記者による投票で満票を獲得しMVP(most valuable player:最優秀選手)に選ばれました。大谷選手は、普通だったら無理だろうと考える投手と打者の二刀流に挑戦し、投手として9勝を挙げ、打者としても46本の本塁打を放ち、さらに26個の盗塁を決めるなど、走攻守すべての面で一流の成績を収めました。

 大谷選手が過ごした花巻東高校の佐々木洋監督は、「大谷は(誰にも)描けない世界を描いていた。我々には見えない景色を見て歩いていたのだと思います。たまたま歩いてたらアメリカに渡ったわけじゃないですし、たまたま(MVPを)取ったのではない。すべてが描いた通り、自分で行動を起こして、夢を掴(つか)んでいるんじゃないかと思います。」と語っているそうです。

 それに先立つ11月13日、藤井聡太さん(19)が「竜王」を獲得。それまで持っていた「王位」「叡王」「棋聖」と合わせて、史上初めて10代での四冠を達成しました。将棋の八大タイトル(残りは「名人」「王座」「王将」「棋王」)の半数を獲得し、将棋界の序列でも1位になりました。藤井四冠は、定跡どおりを打ち破り、並み居るプロの棋士でさえ思いつかないような手を繰り出し、それが勝利につながるという、今までにない棋風を打ち立てています。

 藤井四冠は小学校の卒業文集に「将棋界の横綱になりたい」と書き、さらに今年の1月、卒業まで後2か月を残すだけになった名古屋大教育学部付属高校を自主退学する道を選びました。「タイトルを獲得できたことで将棋に専念したい気持ちが強くなりました。」これまた、一般の人が常識と考える道ではなく、自分の道を貫いています。

  「先入観は可能を不可能にする」(佐々木洋:花巻東高校監督)

 大谷選手も藤井四冠も、小さいころから自分の将来を見据え、その夢を実現させるために努力を重ねて今のような活躍につながりました。そこには、先入観に囚われない自由な発想としっかりとした信念がありました。

 情報技術が発達し、世界の垣根が低くなりつつある現代社会の中では、「今まで通り」が通用しないことが数多く起こります。この2年間は新型コロナウイルスのため、わたしたちの生活は大きく変化しました。さらに、そう遠くない将来、大震災の発生も予想されるなど、先が見通せない時代がやってきています。

 今、幼稚園で学び行く子どもたちが大人になる頃は「主体的に課題を見つけそれを解決する力」が、今まで以上に求められる時代になっていることでしょう。

 今年度、天使幼稚園では「チャレンジ~新しい時代の新しい教育~」という目標を掲げ、保育や様々な行事に取り組んでいます。「自己肯定感を高めること」「自ら学ぶ意欲を養うこと」「コミュニケーション能力を養うこと」そして「思いやりの心を育てること」を大切にしながら、やがて大谷選手や藤井四冠のように、新しい時代を自由な発想で乗り越え、信念を持って生きることができる素地を養っていけるようがんばっています。 

「『できない』と言っていることのほとんどは『たぶんできないだろう』ではなく『しない』なのだ」(花巻東高校の野球部の壁に貼ってあることば)

                          (園長 鬼木 昌之)
<2021年度>11月号
記 念 日
2021年10月25日
 10月31日はハロウィン。今、街中を歩くとかぼちゃのお化け(ジャック・オー・ランタン)がたくさん飾られています。(天使幼稚園の玄関ホールにも誰かが持ってきて置いてくれていますよ)

 古代ケルトの暦では11月1日が新年とされ、その前日の10月31日の夜には先祖の霊が家族に会いに来ると信じられていました。でもその時、悪霊(あくりょう)や魔女も一緒にやってきて、人々にわざわいを起こすと考えられていたので、人々は、仮面を被(かぶ)ったり仮装をしたり、魔除けの焚火(たきび)をしたりして悪霊を追い払おうとしていたそうです。やがてその風習が各地に広がり、2000年ころから日本でも流行するようになりました。

 このような特別な日はハロウィンだけではありません。インターネットで「今日は何の日」と検索すると、1年366日、毎日何かの記念日になっていることが分かります。ちなみに10月25日は1951年戦後初の国内民間航空会社として設立された日本航空が、東京~大阪~福岡の運航を開始したことから「民間航空記念日」になっているそうです。

 日本に住む人にとっての共通の記念日には「国民の祝日」があります。もうすぐ訪れる11月3日は、自由と平和を愛し、文化をすすめる「文化の日」、11月23日は、勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう「勤労感謝の日」として、学校や会社はお休みになり、みんなでお祝いする日とされています。この他にも3月3日の「雛祭り」や7月7日の「七夕」、11月15日の「七五三」なども、たくさんの人たちがお祝いをしています。

 このような共通のお祝い日だけではなく、家族の中にもお祝い日がたくさんあります。家族みんなの誕生日、お父さんとお母さんの結婚記念日、みなさんが幼稚園に入園した記念日、みなさんが初めて立った日や歩いた日を、記念にメモしてくださっているお家もあるかもしれませんね。

 こうして何かの記念日をお祝いするのはなぜでしょう。

 それぞれのお祝い日には、ハロウィンや国民の祝日で紹介したように「由来」があり、先人たちの知恵が込められ、今を生きる私たちにメッセージを送ってくれています。その意味をかみしめながらそれぞれの行事に取り組むことを通して、後世の人々は、先人の知恵に活かされることができるもの。でも、長い年月を経る間に、その本来の意味が忘れられ失われていることも多いようです。

 また、いろいろな記念日には、共に生きる人同士の絆(きずな)を深める意味も込められています。特に家族の中の記念日は、「生まれてきてくれてありがとう」「今までお世話してくれてありがとう」という感謝の思いが込められ、亡くなった方の命日などは、これまで受けて来たたくさんの恩に感謝し、その方の永遠の安息を願う気持ちを込めて祈る日になっています。

 記念日は、このような特別な日だけではありません。

 1987年に発行された俵万智さんの歌集「サラダ記念日」には、「『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」という歌が納められています。さりげない日常の出来事の中にも記念日を生み出すことができるのです。

 また「不思議の国のアリス」の中ではマッドハッターと三月うさぎが「なんでもない日おめでとう」と歌っていました。何もなくても、日々の暮らしの中、感謝の思いを持つことができると「おめでとう」と祝うことができるもの。茶の湯の世界でも「一期一会」という精神があり、同じ顔触れのお茶会であっても、今日のお茶席は今日限りのものだから、この一瞬の出会いを大切にお茶を点てているそうです。

 私たちの日々の暮らしの中でも、1日1日を、この日この時しかない大切な記念日と考え、一つひとつの行動の意味・意義を見つけて生きることができるといいですね。

 今日は「記念日」のことを考えることができた「記念日」です。 
               (園長 鬼木 昌之)
<2021年度>運動会号
できることをひとつずつ
2021年10月6日
 2日に分けた今年の運動会も無事に終えることができました。コロナ感染対策のため、平日開催にしたり、家族の方の参加を制限したりという対策に、ご理解とご協力を賜りありがとうございました。

 コロナの新規感染者が3~4000人を超える日が続いていた8月下旬。その後、感染者は増え続けるのか減少し始めるのかという見通しが立たない中、今年の運動会をどうしようという話し合いが始まりました。

 緊急事態宣言が出されたまま迎える2学期。幼稚園はしばらく午前保育を続け、さらに、感染が心配な方は出席を見合わせることになるだろうということで、練習が充分にできないことが考えられました。しかし、子どもたちにとって、幼稚園での大切な思い出であり、運動面での成長を援ける運動会を中止する選択はしたくありませんでした。そこで、どのような形であれば運動会ができるのか、どのような手立てを組めば、みんなが参加できる運動会ができるかを相談しました。

 まず、練習をほとんどしていなくても、当日、先生たちがサポートすることでできる内容をと考えました。また、年長さんはこの運動会を含め、いろいろな係の代表を決めて活躍する場を設けていますが、今回はその役割をクラスごとに分け、年長さん全員が活躍できるようにしました。

 2学期がスタート。運動会に向けての練習を始めました。お休みのお友だちが多い日もあったけれど、あらかじめ想定していたので、先生たちも焦ることなく、参加した子どもたちと、ゆったり楽しく練習に取り組みました。コロナ以前だと、できるまで繰り返し繰り返し練習を重ねていましたが、今年はお休みしていたお友だちも、本番でできるようにと丁寧に指導していきました。

 そして迎えた運動会。子どもたちは、練習してきたことを精一杯発揮し、がんばってくれました。むしろ練習の回数が少なく、コロナ以前は、「また練習?」「疲れたな。」という思いが出た後本番を迎えるところ、今年は、子どもたちがもっとやってみたいなという気持ちのピークの時に運動会の本番を迎えることができたようです。


 「しゅわーしゅわー」とかわいく踊った年少さん、元気な怪獣になった年中さん、Snow Manの曲に乗ってかっこよく踊った年長さん。それぞれの学年のおゆうぎもしっかり踊ることができました。年少さんのかけっこも「よーい・どん」の合図に合わせて走ることができ、年中さんもコーナーに沿って走ることに挑戦しました。年長さんも最後の一人までしっかりバトンをつなごうという気持ちでみんながんばって走りました。年長さんは以前のように互いにふれ合ってする「組体操」ではなく、一人ひとりが自分の技をしっかりとすることで、全体の美しさを表現する「集団演技」に取り組みました。

 今年は「どこまでできるようになるか」より、一人ひとりが「楽しく参加できるか」を大切に考えて準備をしてきた運動会でした。また、昨年同様、会場が密にならないように、お子さま一人に保護者の方お一人と参観を制限させていただきました。お家の方みなさんに見ていただくことはできなかったけれど、ゆとりのある会場で写真やビデオをゆっくり撮っていただいたり、お子さまの演技する場所に移動しながら応援していただいたりすることもでき、こちらもゆったりとした気持ちで見ていただくことができたのではないかと思います。参観していただいた保護者の方、そして今年も入ってもらった写真屋さんやビデオ会社の写真やビデオを通して、お子さまの活躍の様子をご覧いただければと思います。

 コロナの新規感染者は、ようやく減少してきました。しかし、まだまだ油断することなく感染予防を図ることが必要な日々が続きます。これからの園生活、そして12月のクリスマス会に向けて、これからもできることを、ひとつずつひとつずつ実践していきたいと考えています。

 これからも、よろしくお願いいたします。
                       (園長 鬼木 昌之)
<2021年度>10月号
秋の風景
2021年9月24日
 9月21日は中秋の名月。月の出の時間は東の空に雲があり、月の出を見ることはできなかったけれど、その後、天高く昇ってきたまんまるお月さまが、きれいな姿を見せてくれました。桃の節句(雛祭り:3月3日)や、七夕(7月7日)は新暦で祝うようになったので、桃の花の季節や織姫(おりひめ)や牽牛(けんぎゅう)が、空高く昇る季節と少しずれてしまっているけれど、中秋の名月は旧暦で祝うので、澄み切った秋の空に輝く月を愛(め)でることができています。

 「きのおうち」の裏には、真っ赤な彼岸花が咲いています。春の桜はその年の気候によって早く咲いたり遅く咲いたりするけれど、彼岸花はその年の気候に関わらず、毎年秋のお彼岸を待っていたかのように花を咲かせます。不思議なものです。彼岸花の別名は「曼殊沙華(まんじゅしゃげ)」これは梵語(サンスクリット語)で「赤い花」「葉に先立って赤花を咲かせる」という意味があるそうです。彼岸花は田の畔道などにもよく植えられています。これは彼岸花の球根に毒があり、モグラなどがそれを嫌って畔を掘り起こすことがないからとのこと。

 9月の中旬から10月にかけて、道を歩いていると、どこからともなく良い香りが漂ってくることがあります。周りを見渡すと、オレンジ色の小さな花を咲かせているキンモクセイ(金木犀)が。キンモクセイの別名は「千里香」、遠くまで香りが届くので、結構離れたところに咲いていることもあるようです。このキンモクセイは、春のジンチョウゲ(沈丁花)、夏のクチナシ(梔子)と共に「三大香木」と呼ばれ、人々に親しまれています。

 秋の空といえば、魚のうろこのような「うろこ雲(巻積雲)」や、もこもことした「ひつじ雲(高積雲)」。うろこ雲は5, 000mから13, 000mという高い空に浮かんでいます。一方のひつじ雲は、2,000mから7,000mの空に浮かんでいる雲です。昔からの言い伝えに「うろこ雲は雨」というのがあります。うろこ雲がだんだん下がって大きく見えるようになってきたら、雨が降る確率が高くなるそうです。

 園舎とてんしの家の間、祈りの部屋の横からは「リーリーリー」という虫の声が聞こえています。これは何の鳴き声でしょうか?姿を見ずに泣き声だけで聞き分けるのはなかなか難しいものです。虫の鳴き声は「むしのこえ」の歌詞がヒントになるようです。

 あれ松虫が、鳴いている ちんちろちんちろ、ちんちろりん
 あれ鈴虫も、鳴きだした りんりんりんりん、りいんりん
 秋の夜長(よなが)を、鳴き通すああおもしろい、虫のこえ
  きりきりきりきり、こおろぎや がちゃがちゃがちゃがちゃ、くつわ虫
  あとから馬おい、おいついて ちょんちょんちょんちょん、すいっちょん
  秋の夜長を、鳴き通す ああおもしろい、虫のこえ 
      (文部省唱歌:作詞作曲不詳)

 これから日ごとに深まりゆく秋。「芸術の秋」「読書の秋」「スポーツの秋」「実りの秋」そして「天高く馬肥ゆる、食欲の秋」。いろいろなことに取り組みやすい気候になっていきます。

 子どもたちの感性を育てるためには、まず周りにいるおとなが、自然の変化や環境に感動することが大切です。身の回りの変化に気づくことができること、そして、そこから「何だろう?」「どうしてだろう?」「どうなっていくのかな?」と興味関心を持つことが、子どもたちの「知的好奇心」へとつながり、一人ひとりの成長の糧となっていきます。

 秋の日々や秋の夜長、親子一緒に五感を研ぎ澄まし、自然からのメッセージを受けることができると良いですね。
                   (園長 鬼木 昌之)
<2021年度>9月号
目標達成シート
2021年9月3日
 この夏、MLB(Major League Baseball)ロサンゼルス・エンジェルスの大谷翔平選手の活躍が、連日伝えられてきました。投手として8勝を挙げ、打者としても42本のホームランを打ち、さらに22個の盗塁を決めるなど、投げても打っても走っても一流の成績を収めています。

 大谷選手は、日本ハムファイターズに入団する前から投打の二刀流を希望し、栗山英樹監督もその意志を尊重して二刀流を認め、移籍したエンジェルスでも同様に起用したことが、今の活躍につながっています。

 さらに遡(さかのぼる)ると、大谷選手は高校生時代から高い理想を掲げ、目標に向かって努力してきたエピソードが紹介されています。そのひとつに「目標達成シート(マンダラチャート)」が挙げられています。

 このシートは、下図のように真ん中に九つのマスがあり、その周りを八つの枠で囲んだものです。


① シートの中心のマスにテーマ(目的や目標)を設定します。
② 中心を囲む八つのマスに、テーマを達成するため必要と思う項目を書き込みます。
③ シート外側の各3×3の枠には②の8つの項目それぞれを達成するために求められる具体的な方法を書き込みます。

 大谷選手は、グラウンドにゴミが落ちているとさりげなく拾い、またその笑顔が多くの人々に好感を持たれています。それらの行動や性格は、高校時代からこうして目標を達成するために必要なことを、分析し実行してきたことにつながっているようです。さらに二刀流を認める監督に恵まれたことは、シートに掲げた「運」の部分も、強い願いと実践によって自分のもとに引き寄せることができた結果でした。

 この目標達成シートは子育ての課題にも役に立ちます。例えば「片づけができない」をテーマにして中心に書き、片づけが出来ない要因を②に書き出し、③でその解決策をピックアップして実行するといった使い方です。課題やその解決策を見える化することで具体的な対応ができるようになるものです。

 「どこかまだ足りないところがある」「まだまだ道があるはずだ」と、
           考え続ける人の日々は輝いている。~松下幸之助~

 未来に向けて育ちゆく子どもたちだけではなく、その子どもたちの成長を援け見守る私たちも、今以上に大きく成長する可能性を持っています。

 子どもも大人も、その第一歩は「現状を改善すること」。これは、日常生活の中で度々必要になることです。でも多くの場合、何をすれば良いか思いつかないまま流れていってしまいます。現状を改善するためにはどんな課題があるかを②に書き出し、③でその解決策を考えていくことを通して、日常の生活を大きく変えていくことができるものです。

 さらに、日常生活に追われていると未来を見据えることがなかなかできないものです。「将来に向けて大きな目標を持つこと」これもまた、人生には欠かすことができないことです。「5年後・10年後、そして人生の終わりの時まで」という目標を掲げ、それに向けて歩み続けることができると、日々の生活もまた豊かなものになっていくことでしょう。その気づきのために、この目標達成シートを使ってみるのも良いものです。きっと今までに気づかなかった、子どもや自分の良さ・特性を見つけ、目標に向かって歩むことを通して、日々の生活もさらに充実したものになっていくではないでしょうか。
                     (園長 鬼木 昌之)
<2021年度>夏休み号
歩こう 歩こう
2021年7月19日
♪ 歩こう歩こう わたしは元気 歩くの大好き どんどん行こう ♪(中川 李枝子:作詞)

子どもたちが大好きなとなりのトトロの主題歌「さんぽ」です。

 朝、子どもたちのお迎えをしていると、ついこの前までベビーカーに乗っていた小さな弟妹が、お家の方と手をつなぎ、自分の足で歩いてくる姿をよく目にします。とことことおぼつかない足取りながら、その顔は生き生きとしています。それから少し経つと、足取りもしっかりとし、ベビーカーに乗せようとすると「いやいや」をして、自分で歩きたいという意思をしっかりと表すようになっていきます。歩くことができるようになった子どもにとって、歩くことは大きな喜びになっています。

 人類が大きく進化するきっかけになった出来事のひとつに「直立二足歩行」が挙げられます。国立科学博物館の馬場悠男名誉研究員は「直立二足歩行がすべての始まり。これがなければ人類の今はなかった」と話されているそうです。直立二足歩行をすることができるようになった人類は、両手を使って物をつかんだり、指先を細やかに動かすことによって様々なものを作り出したり、さらに頭が体軸の真上になったことで、大きな脳を支えることができるようになり、知恵の発達にもつながりました。人類にとって歩くことは、存在の根幹につながるものと言えるようです。

 また、歩くことの効用も多く知られています。歩くことによって肥満予防につながったり、体を動かすことで筋力がアップしたり、骨の強度を増したりすることも期待でき、また、健康寿命を延ばすことにもつながります。

 江戸時代、人々は東海道53次を2週間程度で歩いていたそうです。1日平均33km。蒲田を起点とすると鎌倉の近くまでを、およそ8~10時間かけて歩いていたとのこと。当時の人々に比べると、現代人の歩く力はかなり劣ってきているかもしれません。

 生命保険の中にはスマホと連動して、毎日一定の歩数を歩くとポイントがつき、保険料が割引になっていくものがあるそうです。加入者がたくさん歩いて健康を維持すると、保険会社も保険金の支払いをしなくて済むということで、加入者にとっても保険会社にとってもメリットがある制度です。そのような制度を設けてでも、健康のために歩くことを人々に勧めなくてはいけなくなっていることを、この制度は教えてくれています。

 明日から夏休みが始まります。例年であれば、いろいろなところに旅行をする計画があるのでしょうが、昨年に引き続きコロナ感染収束のめどが立たず、人が大勢集まるところへのお出かけは、避けざるを得ない状況が続いています。それでも子どもたちが夏休み中、家の中に居続けるのは難しいもの。そうであれば、人があまり集まっていない場所に行くことも候補に挙がってきます。

「さんぽ」の歌詞は次のようにつながっています。

♪ 坂道 トンネル 草っぱら いっぽん橋に でこぼこ砂利道 くもの巣くぐって 下り道 ♪

アニメの印象でこれは田舎の風景のように感じますが、何も特別な場所に行かなくても、家の近所や少し足を伸ばした場所でも味わえるものです。わたしもコロナ感染が広がった後、電車などを使って遠出をする代わりに、近隣やちょっと離れた場所に歩いて行くようにしています。多摩川の堤防(3.0km)、大森貝塚(3.4km)、九品仏(4.5km)、林試の森公園(4.4km)、国立科学博物館附属自然教育園(6.3km)。歩いてみると、この辺りは結構坂道が多いこと、道が微妙に曲がっていて、まっすぐ行っているつもりだったけれど、いつの間にか横向きに歩いていたこと、家々の庭にたくさんの種類の草花が植えられていること等、多くの発見をすることができました。

 これから暑い日が続きそうですが、少し早起きをして涼しいうちに親子で散歩をし、親子共に健康増進を図りながら、今まで気づかなかったことをいっぱい発見する。そんな夏休みを過ごしてみてはいかがでしょうか。
                         (園長 鬼木 昌之)
<2021年度>7月号
見方を変えると
2021年6月25日
 6月14日、関東地方も梅雨に入りました。平年より1週間ほど遅く、ここ10年間では一番遅い梅雨入りだそうです。梅雨入り後、雨は降らなくてもジメジメした日が続き、先週は突然の豪雨のため園庭で遊んでいたお友だちが「きのおうち」に取り残されたりもしました。週間天気予報を見ると、今週末からは、ずらっと雨マークが並んでいます。傘をさして登降園をしなくてはいけなかったり、お外遊びができなかったりする日が続きそうです。

 福岡にいた時、1年間写真教室に通い、毎月1回撮影会に出かけていました。ある月の撮影会の日、朝から雨。「あ~あ、今日は濡れるからいやだなあ。」と思っていると、講師の先生が「今日は、撮影会日和じゃな!」とおっしゃいました。「今日のように雨に濡れると、しっとりとした良い写真が撮れるからなあ。」その日、傘をさしながら、雨の日ならではの構図を探し回りました。今までの常識が覆されたひとことでした。

 子どもたちは雨の日も大好き。水たまりがあるとその中に入ってバチャバチャと水しぶきを上げて遊んだり、傘をささず、雨に濡れるのを楽しんだりする姿もよく見られます。「よごれるよ。」「風邪をひくよ。」と大人が心配するのをよそに、子どもたちは雨を楽しんでいます。子どもと大人、雨の日の見方もそれぞれです。

 ポーランド出身のニコラウス・コペルニクス(1473-1543)は、天体の動きをつぶさに観察し、当時信じられていた、宇宙は地球を中心に回っているという「天動説」を覆し、太陽の周りを地球が回っているという「地動説」を唱えました。今では地球は太陽の周りを回っていることを誰でもが知っていますが、当時としては信じられない見方の変更でした。そこから常識を覆すような発見や新しい考え方を「コペルニクス的転回」と呼ぶようになりました。今まで常識だと思っていたことも、別の視点から見るとそれが覆るケースもあるものです。

 「そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え『悔(く)い改めよ、天の国は近づいた』と言った。」(マタイによる福音書第3章1-2)

 カトリック教会ではこの「悔い改める」ことを「回心(かいしん)」と呼んでいます。それは、ものごとの見方の根本を神さまに向けるということを示しています。自分の心のおもむくままにではなく、自分の思いを神さまに委(ゆだ)ね、罪や悪から遠ざかり、同時に神さまの恵みと助けに信頼して、生き方を変えようという決心を伴って心を新たにすることです。

 「悔い改め」をギリシア語で「メタノイア(METANOIA)」と言います。このことばを後ろから読むと「アイノタメ(愛のため)」になると、以前、神父様のお説教の中で聞いたことがあります。このことに初めて気づいた方は、見方を変えることが得意で、しゃれが好きな方だったのでしょうね。

 長い人生の中では、なかなか自分の思い通りに物事が進まず、悩んだり落ち込んだりすることがあります。そのような状況の時、自分の思いを中心に今を考えることから、神さまからのメッセージをベースに物事を考えることに、ちょっと視点を変えてみてはいかがでしょう?

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。
  これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」
         (テサロニケの信徒への手紙一第5章16-18)
                   (園長 鬼木 昌之)
<2021年度>6月号
みこころの月
2021年5月25日
 カトリック教会では、6月を「みこころの月」と呼び、イエスさまの“みこころ”を通して神さまの愛を思い起こし、イエスさまの限りない愛のしるしである“みこころ”を称えてきました。

 5月にも紹介した園のことばは、「イエスさまのように」というフレーズから始まります。

    イエスさまのように かみさまに したがう よいこども
      マリアさまに ならって やさしい こころ
       いつも なかよく あかるい こども
     きれいな はなを てんしの そので さかせましょう

 イエスさまのように 神さまに従うためにはどうすれば良いのでしょうか?その大切なヒントは聖書の中に記されています。

「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」(マタイによる福音書22章36~40)

また別の個所には次のように書かれています。

あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい(ヨハネによる福音書13章34)

 最も大切な掟は、神さまを愛しなさいというものでした。しかし、それはただ「神さま大好き」ということに留まらず。神さまが望まれるように生きることが求められているのです。そして、それと同じように隣人を愛することが大切だと教えてくださいました。さらに、それを人々に求めるだけではなく、イエスさまご自身が「わたしがあなたがたを愛したように」と、お手本を示してくださいました。

 イエスさまは、特に罪びとや、小さな人、弱い人を大切にされました。

 徴税人のザアカイは、ローマ政府の力をかさにきて税金を過剰にむしり取り私腹を肥やす、ユダヤ人にとっては裏切り者で、決して許せない人でした。しかし、イエスさまは、そのザアカイの家に泊まるとおっしゃったのです。当然、人々は「おい、あの人は、罪深い男のところに泊まろうとしているぞ。」とつぶやきあいました。しかし、イエスさまとふれあうことができたザアカイは「イエスさま、私はこれから財産の半分を貧しい人々に分け与えます。また、誰かからだまし取った分のお金は、4倍にして返します。」と改心したのです。「今日、救いがこの家に訪れた。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」(ルカによる福音書19章1~10)

 また次のようなたとえ話をしてくださいました。

「ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば。九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたの天の父の御心ではない。」(マタイによる福音書 18章10~14)

 このように、イエスさまのように神さまに従うためには、身近にいる人に心を配り、本当の意味での隣人となることが求められています。

 フランシスコ教皇様が昨年の6月、みこころについて次のようなお話をされたそうです。

「イエスの人間的であると共に神的なる聖心は、わたしたちがいつでもそこから神のいつくしみ、赦し、優しさを汲み取ることができる源泉なのです。(中略)わたしが祖母から習った古い祈りがあります。『イエスよ。わたしの心を、あなたの聖心に似たものにしてください』これは美しい祈りです。この美しく小さな祈りを、この6月に唱えましょう。」と。
                        (園長 鬼木 昌之)
<2021年度>5月号
5月は聖母月
2021年4月26日
 5月といえば端午の節句、こどもの日、こいのぼりや武者人形。ゴールデンウイークに立夏(今年は5月5日)。さらに八十八夜に茶摘みや田植え。また、躑躅(つつじ)や藤そして薔薇(ばら)、最近はあまり見かけなくなったけれど蓮華草(れんげそう)等の花々が美しい姿を見せてくれます。気温の変化が激しい春の終わりから、気持ちが良い初夏の陽気に変わっていくのがこの5月です。

 5月の清々(すがすが)しい晴れの日は「五月(さつき)晴れ」。もともとは旧暦の5月(新暦の6月頃)の梅雨の合間の晴れの日を「五月晴れ」と言っていましたが、最近では新暦の5月の気持ちが良い晴れの日も「五月晴れ」と呼ばれるようになりました。

 カトリック教会では、この5月を「聖母月」と呼び、マリアさまの優しさや神さまにしたがう従順な心を思い起こしたり、感謝の祈りを捧げたりする月になっています。その起源として、ヨーロッパでも多くの花が咲き乱れ新緑が美しい5月は、マリアさまに捧げる良い月ということから「聖母月」となったという説や、「メイ・クイーン」を選ぶ習慣から「その中でも最も美しいのはマリアさま」ということで5月が「聖母月」になったという説などがあるそうです。

 子どもたちは毎日、朝の祈りの後、園のことばを唱えています。

 イエスさまのように かみさまに したがう よいこども
      マリアさまに ならって やさしい こころ
       いつも なかよく あかるい こども
     きれいな はなを てんしの そので さかせましょう(天使幼稚園 園のことば)

 明るく元気いっぱい幼稚園生活を楽しみながら、善い行いができるようにイエスさまのことば(=神さまの願い)を思い起こし、優しいマリアさまのように、自分もみんなに優しくできる人になろうという幼稚園のめあてを繰り返し確かめています。

 家族という小さな社会から、同じ年代の友だちや先生と一緒に過ごす大きな社会の中に飛び込んだ子どもたち。自分の思い通りにはできない時があることや、自分と異なる思いを持っている人がいること、さらに共に過ごす小さい子を助けてあげたいという気持ちが沸き上がること等、人とのつながりの中で多くのことを学びながら成長していきます。

 新年度がスタートして1ヶ月。新しいクラスにも慣れ、そろそろ自己主張も強く出るようになっていきます。こうして迎える聖母月。小さな子どもたちだけれど、何でも「自分・自分」ではなく、「マリアさまに ならって やさしい こころ」を意識し、周りの人にも心を配りながら過ごしてほしいと願っています。

 新型コロナウイルスの感染拡大のため、また緊急事態宣言が出されました。不自由な生活のためストレスがたまり、物を壊したり誰かを攻撃したりというニュースも数多く耳にします。こんな時こそ、子どもたちと同じように「マリアさまに ならって やさしい こころ」を胸に刻み、周りの人への思いやりの心を持ちながら過ごしていきたいものですね。
                          (園長 鬼木 昌之)
<2021年度>4月号
チャレンジ
~新しい時代の新しい教育~
2021年4月12日

  みなさん、入園・進級おめでとうございます。

 初めての幼稚園生活が始まる年少さんだけでなく、新しいクラスで、新しい友だち、新しい先生と出会った年中さんや年長さんも、わくわくドキドキしながら新年度を迎えたことでしょう。これから共に過ごす日々、友だちや先生と一緒に、楽しく幼稚園生活を送りながら、一人ひとり、神さまから与えられた力を伸ばしていきましょう。

 コロナウイルスの影響で人々の暮らしが大きく変化した昨年度でしたが、コロナウイルスの感染拡大がなければ2020年度は「教育改革の年」という話題がもっと大きくクローズアップされるはずでした。

 情報通信技術の発達や、グローバル化の影響で、これからの時代は「今までの経験が役に立たない時代」になろうとしています。

「子どもたちの65%は将来、今は存在していない職業に就く」(キャシー・デビッドソン)
「今後10年~20年程度で、半数近くの仕事が自動化される可能性が高い」(マイケル・オズボーン)

そのような時代を生きる子どもたちの力を育むために、新しい小学校の学習指導要領が2020年度から実施されました。(中学校は2021年度・高等学校は2022年度から)そこでは「知識の量」から「知識の質」への変換を図るべく、プログラミングやアクティブラーニング、英語教育などが導入され、子どもたちの学び方が大きく変わることになり、そこに多くの関心が注がれるはずでした。

 このような変化は、子どもたちが大人になる、今から少し先の時代のことと思われていましたが、コロナウイルスの感染拡大により、見通しがたたない社会が一気に訪れました。その結果「正解のない社会」への対応が、未来を生きる子どもたちだけではなく、現代を生きるわたしたちにも求められることになりました。

 天使幼稚園でも、感染予防を図りつつ、「わくドキサマーDay(年長:お泊り保育)」や「エンジョイスポーツDay(運動会)」「クリスマスのおくりもの(クリスマス会)」など、子どもたちの成長に欠かせない様々な行事を、形を変えながら実施してきました。コロナウイルス終息の見通しがたたない今年度も、同じように知恵と工夫とで乗り越えなくてはならない日が続いていきます。

 これらのことを踏まえつつ、今年度は「チャレンジ~~新しい時代の新しい教育~」を天使幼稚園の目標として掲げました。「今まで通りにできない」のではなく、新しい時代に必要な力を育てるためには「何ができるか」と発想を変え、「新しい時代に向けた新しい教育」を生み出すことができるようチャレンジしてまいります。さらに、未来を生きる子どもたちに必要な力の土台を育むために、
  ① 自己肯定感を高めること
  ② 自ら学ぶ意欲を養うこと
  ③ アクティブラーニングにつながる友だちとの協力やコミュニケーション能力を養うこと
  ④ 思いやりの心を育てること
この4つに焦点を当て、保育内容を充実させていきたいと考えています。大きく変わりゆく時代の中、常に先を見通し、その根底にある「ねらい」を確かめつつ歩んでまいります。

 今年度もご理解とご協力を賜りますよう、よろしくお願いいたします。
                   (園長 鬼木 昌之)
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